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「糧秣〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

糧秣の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
あらくれ」より 著者:徳田秋声
と云う噂《うわさ》が、年のうちに此方《こっち》へも伝っていた。お島はそのことを、糧秣《りょうまつ》問屋の爺さんからも聞いたし、その土地の知合の人からも話された。....
カインの末裔」より 著者:有島武郎
ったが、これは播種時《たねまきどき》から事務所と契約して、事務所から一手に陸軍|糧秣廠《りょうまつしょう》に納める事になっていた。その方が競争して商人に売るのよ....
道草」より 著者:夏目漱石
崎《たかさき》にいた。そうして其所《そこ》にある兵営に出入《しゅつにゅう》して、糧秣《かいば》を納めるのが彼の商買《しょうばい》であった。 「そんな関係から、段....
」より 著者:黒島伝治
ていたイワンが、弟の方に向いて云った。 「いいや!」商人の眼は捷くかがやいた。「糧秣や被服を運ぶんだ。」 「糧秣や被服を運ぶのに、なぜそんなに沢山橇がいるんかね....
壊滅の序曲」より 著者:原民喜
その翌々日、こんどは広島の大空襲だという噂《うわさ》がパッと拡った。上田が夕刻、糧秣廠《りょうまつしょう》からの警告を順一に伝えると、順一は妹を急《せ》かして夕....
古き小画」より 著者:宮本百合子
スーラーブの頭に閃くように或ることが思い出された。彼は、急に活々した挙止で、丁度糧秣の袋を抱えて来かかった一人の兵卒を呼びとめた。「おい。――貴様、イランの捕虜....
戦場」より 著者:夢野久作
いの高さに盛り上っていた。私はそれを工兵隊が残して行った大行李の荷物か、それとも糧秣の山積かと思っていたが、だんだん接近するに連れて、その方向から強烈な、たまら....
大正十二年九月一日よりの東京・横浜間大震火災についての記録」より 著者:宮本百合子
げた様子。 すぐ舟に家族のものと荷もつだけをのせ、大川に出た。ところが越中島の糧秣廠がやけ両国の方がやけ、被服廠あとがやけ四方火につつまれ川の真中で、立往生を....
源氏物語」より 著者:紫式部
いて、そのほか随身などの者は栗栖野の荘が近いはずだから、そのほうへ皆やって、馬に糧秣をやったりさせることにして、ここで騒がしく人声などは立てさせぬようにしてくれ....
レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
方もまた自分の夢想を持っていた。ある御用商人、ある金持ちで恰幅《かっぷく》のいい糧秣係《りょうまつがか》り、あるいかにもお人よしの夫《おっと》、ある成金、または....
氷河」より 著者:黒島伝治
本の中隊は、汽車に乗ってイイシの警戒に出かける命令を受けた。汽車には宵のうちから糧秣や弾薬や防寒具が積込まれた。夕闇が迫って来るのは早く、夜明けはおそかった。 ....
人口論」より 著者:マルサストマス・ロバート
いにさせることになるかもしれない。けだし相互の侵略に際して、運び去り得ない一切の糧秣《りょうまつ》と食糧はこれを焼き払い打ち毀すのが一般の慣《なら》いらしいから....
私の履歴書」より 著者:井上貞治郎
なのは、二人の息子がすでに他界したことである。二男賛次郎は大戦中陸軍大尉の資格で糧秣廠に通っていたが、疲労のため昭和十九年四月八日病没。長男庸太郎も三十三年三月....
戦争史大観」より 著者:石原莞爾
々に追撃してその前面に進出、数カ月の対峙となった。けれども大王は兵力を分散しかつ糧秣欠乏し、遂に北方に退却の止むなきに至った。墺軍はこれに追尾し来たり、九月三十....
本所両国」より 著者:芥川竜之介
そこにあるものは震災のために生じた「ものゝ飛び」に近いものである。僕は昔この辺に糧秣廠のあったことを思い出し、更にその糧秣廠に火事のあったことを思い出し、如露亦....