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「紂〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

紂の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
玉藻の前」より 著者:岡本綺堂
ことを説明して聞かせた。 「今この国の政治《まつりごと》を執っている殷《いん》の王《ちゅうおう》は妲己《だっき》という妖女にたぶらかされて、夜も昼も淫楽にふけ....
忠直卿行状記」より 著者:菊池寛
お手近く召し寄せられ、囲棋のお遊びなどあり、打ち興ぜさせたもう有様、殷《いん》の王《ちゅうおう》にも勝れる暴君よなど、噂せられたまいし面影更に見え給わず。こと....
神社合祀に関する意見」より 著者:南方熊楠
しく白蟻を肥やして、基本金に何の加うることなき所多し。金銭のみが財産にあらず、殷は宝玉金銀の中に焚死し、公孫※は米穀の中に自滅せり。いかに多く積むも扱いようで....
二百十日」より 著者:夏目漱石
楽なんだから驚ろく」 「いつそんな目に逢《あ》ったんだい」 「いつでもいいさ。桀《けっちゅう》と云えば古来から悪人として通《とお》り者《もの》だが、二十世紀は....
弟子」より 著者:中島敦
ん》の諫死と変る所が無い。仁と称して良いであろうかと。孔子が答えた。いや、比干と王《ちゅうおう》との場合は血縁でもあり、また官から云っても少師であり、従って己....
法窓夜話」より 著者:穂積陳重
ニシウス、懸柱の法 昔シラキュース王ディオニシウス(Dionysius)は、桀《けっちゅう》にも比すべき暴君であったが、彼は盛んに峻法を設けて人民を苦しめた....
今日の文化の諸問題」より 著者:宮本百合子
しながら、歴史はまたわれわれに次のようなことをも教えている。 中国の有名な殷の王は自分の気に入らないことをいったり、書いたりした学者を土の中に生理めにし、本....
ああ玉杯に花うけて」より 著者:佐藤紅緑
英雄である、不正の英雄は抜山倒海の勇あるももって尊敬することはできません、武王は王を討った、それは王が不正だからである、ナポレオンは欧州を略した、それは国民....
殺生石」より 著者:楠山正雄
百|年かたちました。 二 そのうちわたしはまたシナの国に渡って、殷の王というもののお妃になりました。あの王にすすめて、百姓から重いみつぎものを取....
狂人日記」より 著者:井上紅梅
いか。おそらく虫ケラが猿に劣るよりももっと甚だしい。 易牙が彼の子供を蒸して桀に食わせたのはずっと昔のことで誰だってよくわからぬが、盤古が天地を開闢してから....
自警録」より 著者:新渡戸稲造
を陳述《ちんじゅつ》すべきである。 周《しゅう》の武王《ぶおう》が殷《いん》の王《ちゅうおう》を伐《う》たんと出征したとき、民みな武王《ぶおう》の意を迎えた....
迷信解」より 著者:井上円了
出だし、果たして勝利を得たりとのことじゃ。また、周の武王は甲子をもって興り、殷の王は甲子をもって亡ぶといえる話がある。すなわち、昔シナにて、周の武王は殷をせめ....
時勢と道徳観念」より 著者:喜田貞吉
然らば末代は皆賊世なり。たゞ我一人のみにあらざるなり。夫れ殷湯の夏を奪ひ、周武のを伐つ、何ぞ尭舜揖譲の政に同じからん。全く聖主賢君の風にあらず。 とある。甚だ....
政事と教育と分離すべし」より 著者:福沢諭吉
なし。けだし暴君汚吏の余殃かくの如くなれば、仁君名臣の余徳もまた、かくの如し。桀《けっちゅう》を滅して湯武の時に人民安しといえども、湯武の後一、二世を経過すれ....
真の愛国心」より 著者:新渡戸稲造
である。この兄弟は国を愛すること熱烈で、周の武王が木像を載せて文王と称し、主君の《ちゅう》を討つ時、彼らは父が死んで葬《ほうむ》らぬ間に干戈《かんか》を起すは....