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紂王
「紂王〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
紂王の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「玉藻の前」より 著者:岡本綺堂
ことを説明して聞かせた。 「今この国の政治《まつりごと》を執っている殷《いん》の
紂王《ちゅうおう》は妲己《だっき》という妖女にたぶらかされて、夜も昼も淫楽にふけ....
「忠直卿行状記」より 著者:菊池寛
お手近く召し寄せられ、囲棋のお遊びなどあり、打ち興ぜさせたもう有様、殷《いん》の
紂王《ちゅうおう》にも勝れる暴君よなど、噂せられたまいし面影更に見え給わず。こと....
「弟子」より 著者:中島敦
ん》の諫死と変る所が無い。仁と称して良いであろうかと。孔子が答えた。いや、比干と
紂王《ちゅうおう》との場合は血縁でもあり、また官から云っても少師であり、従って己....
「今日の文化の諸問題」より 著者:宮本百合子
しながら、歴史はまたわれわれに次のようなことをも教えている。 中国の有名な殷の
紂王は自分の気に入らないことをいったり、書いたりした学者を土の中に生理めにし、本....
「ああ玉杯に花うけて」より 著者:佐藤紅緑
英雄である、不正の英雄は抜山倒海の勇あるももって尊敬することはできません、武王は
紂王を討った、それは
紂王が不正だからである、ナポレオンは欧州を略した、それは国民....
「殺生石」より 著者:楠山正雄
百|年かたちました。 二 そのうちわたしはまたシナの国に渡って、殷の
紂王というもののお妃になりました。あの
紂王にすすめて、百姓から重いみつぎものを取....
「自警録」より 著者:新渡戸稲造
を陳述《ちんじゅつ》すべきである。 周《しゅう》の武王《ぶおう》が殷《いん》の
紂王《ちゅうおう》を伐《う》たんと出征したとき、民みな武王《ぶおう》の意を迎えた....
「迷信解」より 著者:井上円了
出だし、果たして勝利を得たりとのことじゃ。また、周の武王は甲子をもって興り、殷の
紂王は甲子をもって亡ぶといえる話がある。すなわち、昔シナにて、周の武王は殷をせめ....
「三国志」より 著者:吉川英治
いて、即座に彼を召抱え、白金襴の戦袍に名馬を与えた。 悪来というのは、昔、殷の
紂王の臣下で、大力無双と名のあった男である。曹操がそれにも勝ると称したので、以来....
「三国志」より 著者:吉川英治
となった典韋は、その折の採用試験に、怪力を示して、曹操の口から、 (そちは、殷の
紂王に従っていた悪来にも劣らぬ者だ) といわれ、以来、典韋と呼ばれたり、悪来と....
「三国志」より 著者:吉川英治
至徳だとたたえられた。これあくまで君を冒さず、臣は臣たるの道である。――後、殷の
紂王、悪虐のかぎりを尽し、ついに武王立って、これを伐つも、なお伯夷、叔斉は馬をひ....