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「純粋理性批判〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

純粋理性批判の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
ニイチェに就いての雑感」より 著者:萩原朔太郎
のやうな「柔軟な頭脳」の所有者にとつては、あの幾何学公式のやうな書体で書かれた「純粋理性批判」の第一頁を読むだけでも、独逸的軍隊教育の兵式体操を課されたやうで、....
科学論」より 著者:戸坂潤
、カント自身がこれ程露骨で明白な矛盾(?)をどうして犯す気になったのだろうか。『純粋理性批判』の物自体を想定した最初の部分を書いた時と、後の認識乃至知識の観念性....
辞典」より 著者:戸坂潤
Kritik der reinen Vernunft, 1781(天野貞祐訳『純粋理性批判』); Fichte, J. G., Die Grundlage d....
偶然の産んだ駄洒落」より 著者:九鬼周造
行の計画がめでたく成立った。これはアマノを間違えた話である。関東育ちでカントの『純粋理性批判』の訳者である天野君はアナゴは知っていたがアマゴを知らなかったのであ....
アインシュタインの教育観」より 著者:寺田寅彦
れを敷衍して「婦人は微分学を創成する事は出来なかったが、ライプニッツを創造した。純粋理性批判は産めないが、カントを産む事が出来る」と云っている。 話頭は転じて....
地方文化運動報告」より 著者:中井正一
も、ちょうど夏期大学中青山君が私の家にいるとき、一農村青年が、「やっとカントの『純粋理性批判』を読み終りました」と言って、貸した本と南瓜を二つ持って来たので、青....
科学批判の課題」より 著者:三木清
、その必然性を理解することこそまさに哲学的精神である。そして批判ということは、『純粋理性批判』の著者たるカントにおいてのごとく、単に善悪を判決するという以上の深....
読書遍歴」より 著者:三木清
お訪ねした時、しきりにその話をされた。私が出たゼミナールで使われたのはカントの『純粋理性批判』とヘーゲルの『論理学』とであった。教授の『認識の形而上学』は、主観....
日記」より 著者:宮本百合子
って来。十二時になった。紀平さんの「認識論」をよむ。「実践理性批判」の前には、「純粋理性批判」がよまれなければならず、その前には、基礎的な二三の哲学的書籍のよま....
西田先生のことども」より 著者:三木清
するには先ず何を読めばいいかと尋ねると、先生は、カントを読まねばならぬといって『純粋理性批判』を取り出してきて貸して下さった。その頃は世界戦争の影響でドイツの本....