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素読
「素読〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
素読の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「路上」より 著者:芥川竜之介
潮《しお》に、近藤《こんどう》は悠然とマドロス・パイプの灰をはたきながら、大学の
素読《そどく》でもしそうな声で、徐《おもむろ》に西洋の恁《こ》うした画の講釈をし....
「私の父と母」より 著者:有島武郎
からは学校から帰ると論語とか孝経とかを読ませられたのである。一意意味もわからず、
素読するのであるが、よく母から鋭く叱られてめそめそ泣いたことを記憶している。父は....
「新生」より 著者:島崎藤村
に東京へ出て来た時、初めて身を寄せたのはこの人の家であって、よくこの人から漢籍の
素読なぞを受けた幼い日のことを思出すことが出来る。岸本がこの人と姉との側に少年の....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
う訳なんです」 きょうから八日前のことであった。例年の通りに、お茶の水の聖堂で
素読《そどく》吟味《ぎんみ》が行なわれた。
素読吟味というのは、旗本御家人の子弟に....
「自叙伝」より 著者:大杉栄
こしてくれた。 僕はこの先生に就いて、いわゆる四書の論語と孟子と中庸と大学との
素読を終えた。 先生はまだ二十四、五か、せいぜい七、八の年頃で、その風采は少し....
「少年時代」より 著者:幸田露伴
こかにあるだろうと思います。 手習いの傍、徒士町の會田という漢学の先生に就いて
素読を習いました。一番初めは孝経で、それは七歳の年でした。元来其頃は非常に何かが....
「私の父」より 著者:堺利彦
くらいのことは、人手を借らずにズンズンやっていた。 学問はない方の人で、四書の
素読くらいはやったのだろうが、ついぞ漢学なり国学なりの話をしたことがなかった。た....
「名人長二」より 著者:三遊亭円朝
徳川将軍家のお儒者林大學頭様の仮声を使わんければならない所でございますが、四書の
素読もいたした事のない無学文盲の私には、所詮お解りになるようには申上げられません....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
助の方は、と言うと、これは引き続き学校へ通わせるかたわら、弓夫みずから『詩経』の
素読をも授けて来た。幸い美濃岩村の旧藩士で、鎗屋町の跡に碁会所を開きたいという多....
「富岡先生」より 著者:国木田独歩
りと聞えた。 大津は梅子の案内で久しぶりに富岡先生の居間、即ち彼がその昔漢学の
素読を授った室に通った。無論大学に居た時分、一夏帰省した時も訪うた事はある。 ....
「河霧」より 著者:国木田独歩
くまねと間違えて勇に怒られ、家じゅうを笑わせた。 かかる際にお花と源造に漢書の
素読、数学英語の初歩などを授けたが源因となり、ともかく、遊んでばかりいてはかえっ....
「三筋町界隈」より 著者:斎藤茂吉
ったがお腹をかかえて笑う。私は何のために笑われるかちっとも分からぬが、これは私の
素読は抑揚|頓挫ないモノトーンなものに加うるに余り早過ぎて分からぬというためであ....
「安吾人生案内」より 著者:坂口安吾
りも淡く」と評し去ったが、夢ではなく、現実であった。即ち晩香は小田原に於ける漢文
素読会を生んだ。固より私を中心としての学生会であるから、私は生みの親であるが、晩....
「作画について」より 著者:上村松園
私が一番最初に通った儒学者は市村水香先生で、その市村先生のところへは夜分漢学の
素読やお講義を聴きに参りました。 当時絵に志すほどのものはほとんど漢学の勉強が....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
れに漢学塾ありたりしが、その門に入りて漢学を修めり。また余の叔父なる人にも就きて
素読を修めり。藩に学あり、英仏両語を教授す。余またこれに入りて仏語を修めり。 ....