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細川三斎
「細川三斎〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
細川三斎の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「巌流島」より 著者:直木三十五
んぽう》の子、又三郎が随一の者とされていた。 豊前の国小倉へ来るとともに、太守
細川三斎|忠興《ただおき》が彼を抱えて師範役とした、留まること半歳、早くも中国、....
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
う証拠は、巻中に数カ条あるが、試みにその一つを言えば、正保二年十二月二日に歿した
細川三斎が三斎老として挙げてあって、またその第を諸邸宅のオリアンタションのために....
「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」より 著者:宮本百合子
痛く苦々しいものに感じられたのであったろう。興津彌五右衛門が正徳四年に主人である
細川三斎公の十三回忌に、船岡山の麓で切腹した。その殉死の理由は、それから三十年も....
「艸木虫魚」より 著者:薄田泣菫
部正や織田有楽斎を師匠として励んでいたから、利休七哲として有楽斎と肩を並べていた
細川三斎から見れば、ちょっと後輩だった。 虚堂禅師の懸物が、家康の手より頼宣に....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
おれはその品を見たい、見ずには置けぬ」 そこで独眼竜は馬を駆《か》って、直ちに
細川三斎の陣を訪れた。 「突然の推参ながら、たって所望の儀は、さいぜん貴公の家士....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
残念じゃが、心が急く。また来るぞ、おさらば」 と、駒を早めて去った。 当主の
細川三斎公は、豊前小倉の本地にいて、江戸の藩邸にいることはなかった。 江戸には....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
いかに重大か。殊に新参を入れる場合においては、なおさらであることは、呉々も、父の
細川三斎からも、彼は教えられていた。 第一が、人物である。第二が、和である。い....
「随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
ある。 前の新免家の六人衆などでも、馬の草鞋を作って生活しているうちに、小倉の
細川三斎公の耳に入って、 「不愍である。取立ててやれ」 と、召出された。 こ....