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「細川幽斎〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

細川幽斎の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
十二支考」より 著者:南方熊楠
に江陵の都督たり、ことさらに孫皓に下請し、しかる後《のち》釈くを得たりとある。昔細川幽斎、丹後の白杉という所へ鷹狩に出た時、何者か道の傍《かたわら》の田の畔《く....
蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
《よ》りて静坐して書籍に親んだ人であった。足利以来の乱世でも三好実休や太田道灌や細川幽斎は云うに及ばず、明智光秀も豊臣秀吉も武田信玄も上杉謙信も、前に挙げた稲葉....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
父が熱心に調べたのだけれども分らないで、今日に至っている。尤も丹波の隣国の丹後は細川幽斎の領分であったためか、内藤家の遺族が熊本藩にも幾人か仕えているらしい。そ....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
新左が、螢が鳴いたということは天下にないとがんばって、すこしけんかめいて来たら、細川幽斎が、雨が降って鳴く虫は一つもいないのに螢ばかりが鳴いている、という古歌を....
五右衛門と新左」より 著者:国枝史郎
で、みんなドッと笑い、ひどく陽気で可い気持であった。 で、秀吉が不図見ると、細川幽斎と新左衛門との間に、見慣れない人間が坐わっていた。 黒小袖を着、黒頭巾....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
三条西実隆は、宗祇から古今伝授を受けて、二条派の当流となり、公条、実枝とつたえて細川幽斎に伝え、その後江戸時代になってからも長く皇族・公家の間に伝授が行われたの....
宮本武蔵」より 著者:吉川英治
れすら幸村は訊ねようとはしない。 佐渡の登山は、もとより主命なのである。故人の細川幽斎公は、太閤在世中にも、侍して青巌寺へ来たことがあるし、山上に長くいて、歌....
随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
式目とか、黒田長政|遺言とかがある。 その中でも、大内|義隆の大内家壁書とか、細川幽斎の幽斎覚え書だの、細川|頼之の武士訓などは、特に有名であり、家臣から世上....