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「細川忠利〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

細川忠利の前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
阿部一族」より 著者:森鴎外
従《じゅ》四|位下《いのげ》左近衛少将《さこんえのしょうしょう》兼|越中守《えっちゅうのかみ》細川忠利《ほそかわただとし》は、寛永十八年|辛巳《しんし》の春、よそよりは早く咲....
鴎外・芥川・菊池の歴史小説」より 著者:宮本百合子
阿部一族の悲劇をとおして、規模大きく描き出しているのである。作品の縦糸としては、細川忠利と家臣阿部彌一右衛門との間にある永年の感情的なしこりが、性格と性格との間....
和算の社会的・芸術的特性について」より 著者:三上義夫
刷等に関して功績の著しい角倉一族から光由がでたのは偶然ではあるまい。光由は肥後侯細川忠利に聘せられて算術を教授したことがあり、没後には略伝を加賀候へ書いて差し出....
興津弥五右衛門の遺書(初稿)」より 著者:森鴎外
年より前でなくてはならない。しかるに興津は香木を隈本へ持って帰ったと云ってある。細川忠利が隈本城主になったのは寛永九年だから、これも年代が相違している。そこで丁....
宮本武蔵」より 著者:吉川英治
軽率なことばを胸に悔いていた。 若侍の中に立ち交じって、競射に汗をながしている細川忠利は、やはり一箇の若侍としか見えないほど無造作な姿だった。 今、一息つい....
宮本武蔵」より 著者:吉川英治
とまではならない、若い未成品だからである。 佐々木小次郎という者を思い出すと、細川忠利は、同時に、宮本武蔵なる者をも、自然胸の中で思いくらべた。 その武蔵の....
随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
している彼だった。 その武蔵は、寛永十七年、齢五十七歳のとき、熊本へ来ている。細川忠利の招きによるといわれている。待遇は、米三百俵。扱いは、岩間六兵衛。取次は....