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細川忠興
「細川忠興〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
細川忠興の前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「大阪夏之陣」より 著者:菊池寛
成り、見苦敷体にて御座候との沙汰にて御座候」 と、正月二十日附で、金地院崇伝は
細川忠興に消息している。つまり、現在ある大阪城と同じになったわけである。 家康....
「旅愁」より 著者:横光利一
苦しめたその頑固なカソリックだけなのであろうかと、自然に心も暗くなった。
この
細川忠興とガラシヤの夫婦関係は、当時の新鮮な思想的暴風の中心事件のようであったが....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
越中守忠興が固く辞退した、そこで飯鉢《おはち》は氏郷へ廻った、ということである。
細川忠興も立派な一将であるが、歌人を以て聞えた幽斎の後で、人物の誠実温厚は余り有....
「女性の歴史」より 著者:宮本百合子
戦国時代の婦人達の愛情とか人間性というものがどんなにふみにじられたかということは
細川忠興の妻ガラシアの悲壮な生涯の終りを見てもわかる。明智光秀の三女であったおた....
「女性の諸問題」より 著者:倉田百三
ブース夫婦。ガンジー夫婦。リープクネヒト夫婦。孫文夫婦。乃木夫婦。木村重成夫婦。
細川忠興夫婦。 高貴なもののために殉じた犠牲の死をもって、また互いにささげ合う....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
た三日いたきりで飛びだしてしまい、その後、豊臣秀頼さまだの、浅野|幸長さまだの、
細川忠興さまだの、なお公卿方では烏丸光広さまなどが、しきりと惜しがって、一寺を建....
「随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
ある。 幽斎の子三斎|忠興との友情も、当然この頃に結ばれていなければならない。
細川忠興は、父幽斎に比べると、武将的性格の濃い人物であったが、さりとて、武辺一辺....