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終戦
「終戦〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
終戦の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「世相」より 著者:織田作之助
ぺんお会いしたいと思ってました」とお世辞でなくなつかしそうに眼をしょぼつかせて、
終戦後のお互いの動静を語り合ったあと、 「――この頃は飲む所もなくてお困りでしょ....
「最終戦争論」より 著者:石原莞爾
。そうなると戦争は短期間に終る。それ精神総動員だ、総力戦だなどと騒いでいる間は最
終戦争は来ない。そんななまぬるいのは持久戦争時代のことで、決戦戦争では問題になら....
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
ず。昼の報道より聞き始む。 ◯北村小松君来宅。 ◯夜の報道にて、スターリンの対日
終戦祝賀の演説が伝えられる。前夜聞いたトルーマン大統領のそれと並べてみて、敗戦国....
「骸骨館」より 著者:海野十三
つまでもきたならしい灰色に見せておくのは、そのアサヒ軍需興業の廃工場の群だった。
終戦後その工場は解散となり、それからは荒れるままに放っておかれ、今日となった。同....
「可能性の文学」より 著者:織田作之助
え方が、近代小説の可能性の追求の上位を占めてしまったのである。そして、この事情は
終戦後の文壇に於ても依然として続き、岩波アカデミズムは「灰色の月」によって復活し....
「神経」より 著者:織田作之助
ところが、戦争が終って二日目、さきに「起ち上る大阪」を書いた同じ週刊雑誌から、
終戦直後の大阪の明るい話を書いてくれと依頼された時、私は再び「花屋」の主人と参ち....
「終戦前後」より 著者:織田作之助
終戦前後 織田作之助 小は大道易者から大はイエスキリストに到るまで予言者の数は....
「武田麟太郎追悼」より 著者:織田作之助
んの野心はまだうかがえなかった。象徴の門の入口まで行って、まだ途まどいしていた。
終戦になった。私は武田さんは何を書くだろうかと、眼を皿にしていた。そして眼に触れ....
「浅沼稲次郎の三つの代表的演説」より 著者:浅沼稲次郎
閣積年の宿弊は、独立後の日本の政治を混迷と彷徨の中に追い込んでおるのであります。
終戦六年にして独立をかち得た国民は占領下に失われた国民としての自覚をとりもどし、....
「私の履歴書」より 著者:浅沼稲次郎
、弾圧が激しく落選した。ついで都制施行とともに都会議員に当選し副議長になったが、
終戦は都会議員で迎えた。 いま弾圧と迫害の中に闘われた戦前の選挙を思い、戦後の....
「あの顔」より 著者:大倉燁子
、大学を出る一年前に応召して、戦争に行ってからすっかり人間が変ってしまいました。
終戦と同時に帰還しましたが、もう大学へかえる気持ちもなく、それかと云って就職もせ....
「和製椿姫」より 著者:大倉燁子
噂だから、懐は相当苦しいに違いない。何しろひと頃あんなに景気のよかった軍需会社も
終戦と共に閉社してしまって、第二封鎖と財産税とにいためつけられてしまった上、十人....
「最初の印象」より 著者:大倉燁子
しゃるのかも知れません。 先生を心から尊敬しほんとうに御親切な方だと思ったのは
終戦後です。私はお金をつかい果して困った揚句、突然先生のところへ伺って本の出版に....
「私の履歴書」より 著者:井上貞治郎
ブカブカのはこを作れと命令されるなど陸海軍正反対の注文を受けたりした。 そして
終戦。外地の工場はすべて接収され、国内でも半分以上が焼失した。私は残った工場と従....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
が、私が自信を以て積極的意見を持っていたのは、この思想の結果であった。 私の最
終戦争に対する考えはかくて、 1 日蓮聖人によって示された世界統一のための大戦争....