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組屋敷
「組屋敷〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
組屋敷の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
が、六道の辻という名になってしまったのです。ここらは小役人や御先手《おさきて》の
組屋敷のあるところで、辻の片側には少しばかりの店屋があります。その荒物屋の前に荷....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
あの生首事件がかたづいてちょうど八日めのお昼すぎでした。いいこころもちで右門がお
組屋敷の日当たりのいい縁側にとぐろを巻きながら、しきりと例のように無精ひげをまさ....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
きはやっぱり人並みに暑いんだから、西日がやっとかげっていくらか涼風の出かかったお
組屋敷のぬれ縁ぎわに大あぐらをかきながら、しきりとうちわを使っていると、大いそぎ....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
疾風迅雷《しっぷうじんらい》の早さをもって一味徒党を一網打尽にめしとり、八丁堀お
組屋敷の同僚たちを胸のすくほど唖然《あぜん》たらしめて、われわれ右門ひいきの者の....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
奉行《ぶぎょう》お配下の与力同心たちがかたまっている八丁堀《はっちょうぼり》のお
組屋敷でも、お多聞に漏れずそのお花見があるというので、もっともお花見とはいっても....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
の屋敷の近所まで来ると、そこに三四十俵から五六十俵取りぐらいの小さい御家人たちの
組屋敷があって、十二三を頭《かしら》に四、五人の子供が往来に遊んでいた。遊びに夢....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
とわ》の大通りへ出る。その七丁目と八丁目の裏手には江戸城の御賄《おまかない》組の
組屋敷がある。かれらは身分こそ低いが、みな相当に内福であったらしい。今ここへ来か....
「三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
\帰りました。 二 小身と云っても場末の住居ですから、阿部さんの
組屋敷は大縄でかなりに広い空地を持っていました。お定まりの門がまえで、門の脇には....
「駆逐されんとする文人」より 著者:内田魯庵
▲余の住ってる町は以前は
組屋敷らしい狭い通りで、多くは小さい月給取の所謂勤人ばかりの軒並であった。余の住....
「絵本の春」より 著者:泉鏡花
の薹も萌えていよう。特に桃の花を真先に挙げたのは、むかしこの一廓は桃の組といった
組屋敷だった、と聞くからである。その樹の名木も、まだそっちこちに残っていて麗に咲....
「鐘ヶ淵」より 著者:岡本綺堂
他の人々と一緒にお供をして帰った。 きょうの役目をすませて、大原が下谷御徒町の
組屋敷へ帰った時には、このごろの長い日ももう暮れ切っていた。風呂へはいって汗をな....
「離魂病」より 著者:岡本綺堂
。その日はそれぎりで済んでしまったが、それから半月ほどの後に、西岡は青山百人町の
組屋敷にいる者をたずねて、やはり夕七つ半(午後五時)を過ぎた頃にそこを出た。今と....
「前記天満焼」より 著者:国枝史郎
「よし」と云うと岡引の松吉は、亀島橋をトッ走った。 中与力町が眼の前にあって、
組屋敷が厳しく並んでいる。 「しめたしめた」とそっちへ走った。
組屋敷の一画へ....
「娘煙術師」より 著者:国枝史郎
が突きあたると常照寺になる。向かい合ってタラタラと並んでいるのはお筒持ちの小身の
組屋敷であったが、そこを右へとって進んで行けば、寂しい寂しい鶯谷となる。そっちへ....
「異妖編」より 著者:岡本綺堂
を通った。それは七月十二日の夜の四つ半(午後十一時)に近いころで、今夜はここらの
組屋敷や商人店を相手に小さい草市が開かれていたのであるが、山の手のことであるから....