経略[語句情報] »
経略
「経略〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
経略の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「小田原陣」より 著者:菊池寛
て、日本国中その勢いの及ばないのは唯関東の北条氏あるだけだ。尤も奥羽地方にも其の
経略の手は延びないけれど、北条氏の向背が一度決すれば、他は問題ではない。箱根山を....
「近世快人伝」より 著者:夢野久作
屁でもなくなる話だ。 日清戦争以前の事だったが、支那の横暴を憎み、露西亜の東方
経略を警戒した玄洋社の連中が、生命知らずの若い連中を満蒙の野に放って、恐支病と恐....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
が出来たと云えば修養の程も思う可き立派な文武の達人だ。此の一鉄と信長とが、四方の
経略、天下の仕置を談論していた。夜は次第に更けたが、談論は尽きぬ。もとより機密の....
「秀吉・家康二英雄の対南洋外交」より 著者:国枝史郎
器物を購って心を喜ばせていた。 然るに、その秀吉が、南洋、主として呂宋に対し、
経略の手を延ばしたのは、原田孫七郎の進言があったからである。孫七郎は、その兄、喜....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
実を忘却したり。当時の著作なる『古事記』『日本紀』等には、景行天皇朝に日本武尊の
経略し給える蝦夷の日高見国をも、当時の蝦夷蟠居の域なる北上川下流地方に擬定せるな....
「黒田清隆の方針」より 著者:服部之総
のさい黒田は、係争事件はことごとく無雑作に譲歩してしまい、九月帰京するや“樺太ノ
経略、断然|之《これ》ヲ棄テテ魯西亜《ロシア》ニ附シ、力ヲ無用|之《の》地ニ労セ....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
は、為冬は親王を奉じて討伐に向ったが、箱根竹下で戦歿し、親王は義貞が奉じて北陸に
経略したが、前の年|金崎城の露と消えておられる。為世の世を去る年には、その新田義....
「三国志」より 著者:吉川英治
みは玄徳にかかりましょう。そして荊州のお手に入るのは目に見えている。すでに荊州の
経略が成れば、呉の攻略も易々たるもの。天下統一のご覇業は、ここに完きを見られます....
「三国志」より 著者:吉川英治
「いうまでもなく、それは案じている。せめて彼の首を見、予自身半年もいて、戦後の
経略までして還れば万全だが、何せい、都の事情と南方の形勢は、それをゆるさぬ」 「....
「三国志」より 著者:吉川英治
。 馬謖の才は、夙に彼も認めているものであるが、彼のような若輩に対しても、南方
経略の要諦を諮問しているところに、宰相孔明がみずから率いて向った今度の南蛮征討に....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
さすが北国では、自分に悔いなき戦いをして、金ヶ崎、杣山の二城を根拠に、めざましい
経略、また奮戦をみせたという。 けれど、高ノ師泰の加勢が寄手に着いてからは、さ....
「随筆 新平家」より 著者:吉川英治
うか。とすれば平ノ知盛が拠って、九州での再起を案じた所である。どうして平家が九州
経略を主目的とせずに、壇ノ浦の殲滅をみすみす求めてしまったか。疑問の余地がないで....
「黒田如水」より 著者:吉川英治
ほど、この要害では、容易に陥ちなかったわけだ。ここを自分の拠城とさだめて、中国の
経略に臨むもいいな」 「いや、いけません」 「いけないか」 「さればです。守るに....
「建国の事情と万世一系の思想」より 著者:津田左右吉
そうして国つくりを助けるために海の外からスクナヒコナの命が来たというのも、武力的
経略のようには語られていないから、文化的意義のこととしていわれたものと解せられる....
「神代史の研究法」より 著者:津田左右吉
ろから、それを日本民族の由来を記したものと考え、あるいは国家の創業に関する政事的
経略の事実を述べたものと説くようになったのである。そうしてこの思想の根柢には一種....