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綏
「綏〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
綏の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「古事記物語」より 著者:鈴木三重吉
になり、大和の葛城宮にお移りになって、天下をお治めになりました。すなわち第二代、
綏靖天皇さまでいらっしゃいます。 天皇はご短命で、おん年四十五でお隠れになりま....
「牡丹灯記」より 著者:田中貢太郎
蓮の怪誕なる、明器を仮りて以て矯誣し、世を惑わし民を誣い、条に違い法を犯す。狐|
綏々として蕩たることあり、鶉奔々として良なし、悪貫已に盈つ。罪名宥さず。陥人の坑....
「世界の一環としての日本」より 著者:戸坂潤
本では世論がなく、批評がなく、民衆がない。 日独防共協定が、当時の対支交渉及び
綏遠問題とどういう連絡があるか、また想定し得る第二次世界大戦とどう関係するか、又....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
収、五※梁※、游環脅駆、陰※※続、文茵暢轂、という所と、韓奕の篇の王錫韓侯、淑※
綏章、箪※錯衡、玄袞赤※、鉤膺鏤錫、※※浅韈、仗革金厄、という所だけは読みにくか....
「穂高岳槍ヶ岳縦走記」より 著者:鵜殿正雄
岩角に縋り綱を手繰り、または偃松を握りなどし、辛くも、連稜の最低部=槍と穂高の交
綏点についた。高さは約二千六百八十米突。此処で少々山稜と離れ、東へ五、六丁、大磧....
「「日本民族」とは何ぞや」より 著者:喜田貞吉
の研究と相提携して、読者諸賢とともに、これを攻究してみたい。 先住土着の民族の
綏撫同化の事蹟については、四道将軍の地方巡察、景行天皇の熊襲親征、日本武尊の西征....
「古事記」より 著者:武田祐吉
紀の原形を窺うに足るものである。そこでもし帝紀の原形を窺おうと思うならば、例えば
綏靖天皇の記事のような簡單なものを見ればよいのである。しかし帝紀からの材料によつ....
「古事記」より 著者:太安万侶
十七歳、御陵は畝傍山の北の方の白檮《かし》の尾《お》の上《え》にあります。 二、
綏靖《すいせい》天皇以後八代
綏靖天皇 ――以下八代は、帝紀の部分だけで、本....
「牡丹灯籠 牡丹灯記」より 著者:田中貢太郎
蓮の怪|誕なる、明器を仮りて以て矯誣し、世を惑わし民を誣い、条に違い法を犯す。狐
綏綏として蕩たることあり。鶉奔奔として良なし、悪貫已に盈つ。罪名|宥さず。陥人の....
「三国志」より 著者:吉川英治
を云いやった。 涼州の地は支那大陸の奥曲輪である。黄河の上流遠く、蒙疆に境する
綏遠、寧夏に隣接して、未開の文化は中原のように華やかでないが、多分に蒙古族の血液....
「三国志」より 著者:吉川英治
亭侯 袁※ 左将軍高陽侯 呉懿 右将軍玄都侯 高翔 後将軍安楽侯 呉班 領長史|
綏軍将軍 楊儀 前将軍征南将軍 劉巴 前護軍|偏将軍 許允 左護軍|篤信中郎将 ....
「美しい日本の歴史」より 著者:吉川英治
な話が載っている。 東三条どの(太政大臣兼家)のおん娘は、深窓の佳麗であった。
綏子ノ君というのである。 父の兼家の側室には「かげろふ日記」の筆者でもあり、ま....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
前面まで侵入したドイツ軍はマルヌ会戦に破れて後退、戦線はスイスから北海に及んで交
綏状態となり、東方戦場また決戦に至らないで、遂に万人の予想に反し四年半の持久戦争....