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「綸旨〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

綸旨の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
応仁の乱」より 著者:菊池寛
名分が必要であったらしい。周到な勝元は早くも幕府に参候し、義政に請うて宗全追討の綸旨を得て居る。時に西軍が内裏を襲い、天子を奉戴して幕府を討伐すると云う噂が立っ....
四条畷の戦」より 著者:菊池寛
され、諸国の地頭に二十分の一の得分をその費用として割当てて居る。其上、朝令暮改、綸旨は掌を飜す有様である。今若し武家の棟梁たる可き者が現れたら、恨を含み、政道を....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
とんぼの鉢巻、向うが見えない 山気《やまき》でやらかす王政復古も 天下の諸侯に綸旨《りんじ》のなンのと 勿体ないぞえ 神にひとしき尊いお方の 勅書を名にして ....
織田信長」より 著者:坂口安吾
死のふは一定、しのび草には何をしよぞ、一定かたりをこすよの ――信長の好きな小唄―― 立入左京亮が綸旨二通と女房奉書をたずさえて信長をたずねてきたとき、信長は鷹狩に出ていた。 ....
九条武子」より 著者:長谷川時雨
に攻められたのだが、一向宗は階級的な強さがあるので、負けるどころではなかったが、綸旨《りんし》が下《くだ》って和議となったのだった。天正十九年に、豊臣秀吉《とよ....
奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
ともいうことがある。いわんや泰衡は源家累代の家人の遺跡を受け継いだものであれば、綸旨を下されずといえども治罰を加うるに不思議はない。ことに群参の軍士鎌倉に数日を....
憑き物系統に関する民族的研究」より 著者:喜田貞吉
別物の如くに考えられてはいるが、それらの中には同じ護法」とあって、これは大宝元年綸旨によって許されたとある。これらの文書が附会もとより取るに足らぬものである事は....
オシラ神に関する二三の臆説」より 著者:喜田貞吉
の鉋を用いなかった古い時代の建物が遺っている。そしてその建物の屋根裏から、先年「綸旨」と金蒔絵で表書きした黒塗りの空箱を発見したというほどの旧家であるから、無論....
エリザベスとエセックス」より 著者:片岡鉄兵
い宝石を手に捧げながら立っていた。しかもその段になって、宮中から、臨幸沙汰やみの綸旨が齎された。その日、朝から病床にあったエセックスは、これを聞くや起き出して、....
尊攘戦略史」より 著者:服部之総
臣従一位の叙位をうけ、朝廷に十五万俵を献じ「公武一和顕然」たるものだった。二月の綸旨《りんじ》に、 「豈料《あたはか》らんや藤原|実美《さねとみ》等、鄙野匹夫....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
叡覧にそなえた。全部二十巻。叡覧に供える前、弘和元年十月、勅撰集に擬せられる旨の綸旨を賜わった。これは本来勅によって撰んだのでなく、ほぼ成るに及んで擬勅撰の仰せ....
三国志」より 著者:吉川英治
れの手に収めてから、天子を擁して、急使を蜀へはしらせ、蜀の玄徳に天子を扶けよと、綸旨を伝えるならば、この際、曹操を伐つことは決して難事ではないと考えられます。ど....
私本太平記」より 著者:吉川英治
がどこかで聞えた。 「――げに、おそれ多いが、すでに、やごとなき辺りより、内々の綸旨も賜わっておる儀なので」 彼の小声はつづいている。 その密語のうちには、....
私本太平記」より 著者:吉川英治
、その文案は、むずかしかろ」 「告文とは、どんな意味を持つものやら。みことのり、綸旨、それともちがいましょうか」 「申さば、天子の私信。このたびの変も、陰謀とや....
私本太平記」より 著者:吉川英治
てくる。 いちどは鎌倉に囚われた前科の身だ。絶体絶命とみたら、いつでも護持する綸旨を灰として、自身は毒を仰服ぐ決意を秘めていたのである。――しかし、これが公卿....