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「総持〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

総持の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
十二支考」より 著者:南方熊楠
たであろう。『古今図書集成』辺裔典二十五巻に、明の守徐兢高麗に使した途上、定海県総持院で顕仁助順淵聖広徳王てふ法成寺《ほうじょうじ》関白流の名の竜王を七昼夜祭る....
雑沓」より 著者:宮本百合子
ていうものか、何しろ電気一点張りなんだから」 と、長男のことを云った。 鶴見の総持寺に在る墓地には、加賀山の四人の子供が祖父母の墓のよこに並んで埋められていた....
社会時評」より 著者:戸坂潤
では全国府県に配属してある見習属約百五十名を三班程に分けて、二週間位いずつ鶴見の総持寺にこもらせ、精神修養と時代の「認識」とを与えることにするそうだ。講師には云....
雑記(Ⅰ)」より 著者:寺田寅彦
れて、深い掘割が道と直角に丘の胴中を切り抜いていた。向うに見える大きな寺がたぶん総持寺というのだろう。 松林の中に屋根だけ文化式の赤瓦の小さな家の群があった。....
道〔扉の言葉〕」より 著者:種田山頭火
の句格が定まり彼の句品が出て来るのである。 平常心是道、と趙州和尚は提唱した。総持古仏は、逢茶喫茶逢飯喫飯と喝破された。これは無論『山非山、水非水』を通しての....
河伯令嬢」より 著者:泉鏡花
で。……可心はこの黒島へ出たのです、穴水から。間に梨の木坂の絶所を越えて門前村、総持寺(現今、別院)を通って黒島へ、――それから今言いました外浜を逆に辿って、―....
雪柳」より 著者:泉鏡花
でも、間淵洞斎がまた声の尻上りなのさえ歯切れよく聞える弁舌|爽で、しかも二十前に総持寺へ参禅した、という度胸|胡坐で、人を食っているのですから、喝、衣類調度の類....
作家の生活」より 著者:横光利一
る習慣をとっている。そうでなければ次ぎの進歩が分りかねるからであるが、昨年の夏、総持寺の管長の秋野孝道氏の禅の講話というのをふと見ていると、向上ということには進....
手仕事の日本」より 著者:柳宗悦
もよいかと思います。それほど人々に嗜まれているのであります。昔|曹洞宗の大本山|総持寺のあった能登の国と、この加賀の国とを合せ、今は石川県を成します。加賀第一の....