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「総軍〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

総軍の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
吾輩は猫である」より 著者:夏目漱石
つるボールといえども相当の功果を収め得ぬ事はない。いわんや一発を送る度《たび》に総軍力を合せてわーと威嚇性《いかくせい》大音声《だいおんじょう》を出《いだ》すに....
田原坂合戦」より 著者:菊池寛
次郎と称して維新当時にも活躍した男である。各大隊は兵数ほぼ二千名位ずつであるから総軍一万二千である。各大隊には砲兵が加って居たが、その有する処は、四斤砲二十八門....
長篠合戦」より 著者:菊池寛
ある。 織田徳川の戦陣が整うのを見て、十九日、勝頼も軍評定をした。自ら曰く、「総軍をして滝川を渡り清井田原に本陣を移し、浅木、宮脇、柳田、竹広の線に於て決戦せ....
賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
は達せられないわけである。さて勝家南下の報に、長浜まで馳せ上った秀吉は、翌日には総軍三万五千余騎、十三段に分って、堂々|余吾床に打向った。先陣羽柴秀政。二陣柴田....
碧蹄館の戦」より 著者:菊池寛
|主計頭清正以下二万二千、三番黒田甲斐守長政以下一万一千、更に四番から二十番まで総軍合せて二十八万である。尤も実際に朝鮮に上陸して戦闘に参加したのは十五万内外の....
島原の乱」より 著者:菊池寛
すから、まるで裏をかかれ通しである。 十一月十九日、寄手の軍は富岡城を攻めた。総軍一万二千分って五軍となす。加津佐の三郎兵衛、口野津の作兵衛、有馬の治右衝門、....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
古屋をたったのは二月の二十六日であったことから、先発の藩隊長|富永孫太夫をはじめ総軍勢およそ七百八十余人の尾州兵と駿府で一緒になったことなぞを知った。さらに、彼....
古き小画」より 著者:宮本百合子
して、シスタンに赴いてルスタムの出動を促すことを命じた。ギーウは当時、ツス近傍の総軍帥であった。この切迫した場合、彼が重大な位置を暫く空けて迄出かけたというとこ....
蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
潰《ふみつぶ》そうまでじゃ、明日《あす》は早天に打立とうず、と罵《ののし》った。総軍はこれを聞いてウンと腹の中に堪《こた》えが出来た。 政宗勢の方にも戦場往来....
風流仏」より 著者:幸田露伴
恋には緩んで、夜深に一人月を詠めては人しらぬ露|窄き袖にあまる陣頭の淋しさ、又は総軍の鹿島立に馬蹄の音高く朝霧を蹴って勇ましく進むにも刀の鐺引かるゝように心たゆ....
だいこん」より 著者:久生十蘭
ヴェランダでみなとお茶を飲みながら呆れ顔でいった。 「ピカッと光った一瞬に、第二総軍だけで戦死が八万に戦傷が二十万……日露戦争の二年間の全損害より多い犠牲者を出....
三国志」より 著者:吉川英治
大将の鄒靖の陣へ、使いを立て、謀事をしめしあわせて、作戦を立て直した。 まず、総軍のうち、関羽は約千の兵をひっさげて、右翼となり、張飛も同数の兵力を持って、丘....
三国志」より 著者:吉川英治
で、諸将から、 「今、義兵を興し、逆賊を討たんとする。よろしく三軍の盟主を立て、総軍の首将といただいて、われら命をうくべし」と、いう発議が出た。 「然るべし」 ....
三国志」より 著者:吉川英治
の兵が、天空に見えたり、天空の月が、三ツにも四ツにも見えたりする。 いわんや、総軍のまとまりはつかない。城兵は支離滅裂となった。討たれる者より、討たれぬ前に手....
戦争史大観」より 著者:石原莞爾
亜連盟の線に沿うたのである事を発表せられた。 昭和十五年天長の佳辰に発せられた総軍司令部の「派遣軍将兵に告ぐ」には、事変の解決のため満州建国の精神を想起せしめ....