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総領娘
「総領娘〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
総領娘の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「富士」より 著者:岡本かの子
命の耕鋤順環の理が信ぜられた。 水無瀬女は、豊かな山に生れ、しかも最初に生れた
総領娘なので、充分な手当と愛寵の中で育てられた。ふた親は常に女《ひめ》にいって聴....
「新生」より 著者:島崎藤村
に聞きつけたばかりでも、岸本は心配が先に立った。
根岸の姪《めい》――民助兄の
総領娘にあたる愛子が引越|間際《まぎわ》の取込んだところへ訪ねて来た。輝子や節子....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
ったそうですが、親父の駒八の代になってから、だんだんに左前《ひだりまえ》になって
総領娘のお熊に婿を取ると、乳呑児《ちのみご》ひとりを残して、その婿が死ぬ。重ねが....
「婦系図」より 著者:泉鏡花
情があって、あわれが深く、趣が浅いのである。 河野病院長医学士の内室、河野家の
総領娘、道子の俤はそれであった。 どの姉妹も活々して、派手に花やかで、日の光に....
「少女病」より 著者:田山花袋
き留めたことがある。千駄谷の田畝の西の隅で、樫の木で取り囲んだ奥の大きな家、その
総領娘であることをよく知っている。眉の美しい、色の白い頬の豊かな、笑う時言うに言....
「母子叙情」より 著者:岡本かの子
あれ、むす子の相手になって呉れるものに、何で好感を持たずにいられようか。大家族の
総領娘として育ったかの女には、いざというとき、こんな大ふうな呑み込んだ度胸が出た....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
の人を姑に持つんだから、お粂もなかなか気骨が折れようぜ。」 半蔵夫婦のうわさが
総領娘のことに落ちて行くころは、やがて夜も深かった。 「ホ、隣の人は返事しなくな....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
戸市中一般にこれが大流行で、富五郎もその道にはなかなか堪能でありましたが、わけて
総領娘は大層|上手でありました。父娘とも芸事が好き上手であったから自然その道の方....
「次郎物語」より 著者:下村湖人
っ子に男の子が一人あった。しかし、彼には学問で身を立てさせることにしていたので、
総領娘――お民の姉――に早くから謙蔵を迎えて、蝋屋の仕事一切を任せて来たのだった....
「貞操問答」より 著者:菊池寛
ほど辛いのですもの。」と涙声になっていった。 「いくらくらいなの一体?」と、母は
総領娘には、やっぱり甘かった。 「五百円いるの。」 「五百円!」母はあきれて、マ....
「指輪一つ」より 著者:岡本綺堂
れは風呂場で拾ったんですか。」 「そうです。」 「どうも不思議だ、これはわたしの
総領娘の物です。」 僕はびっくりした。それはダイヤ入りの金の指輪で、形はありふ....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
の所から堀田原の家は売られましたので、私は寿町へ転じました。 堀田原の家で私の
総領娘|咲子が生まれました。それは明治十年九月五日であった。 寿町時代は翌十一....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
たことでありました。この引っ越しは二十三年であったと思います。 この谷中時代に
総領娘|咲子を亡くしました。亡くなった日は明治二十五年の九月九日でした。まことに....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
総領娘を亡くしたことはいかにも残念であったが、くよくよしている場合でもなく、一方....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
ていって置きたいことがあります。私が先日話した猿を彫っていた時分、ちょうどそれは
総領娘を亡くしまして、いろいろ物入りをして、大分内証が窮していたのでありますが、....