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「縄手〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

縄手の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
鳥辺山心中」より 著者:岡本綺堂
のは六条|柳町《やなぎちょう》の遊女屋ばかりで、その他の祇園《ぎおん》、西石垣、縄手、五条坂、北野のたぐいは、すべて無免許の隠し売女《ばいじょ》であった。それら....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
は海、いわゆる安房上総をひと目に見晴らすことになる訳で、仕置場までの間を鈴ヶ森の縄手と呼んでいました。その縄手を越えて、仕置場の前を通りぬけて、大森の入口へ差し....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
らの案内を知らないので、黙って勇二のあとに付いて行くと、鮫洲を通り越して鈴ヶ森の縄手にさしかかる。勇二は草履の鼻緒が切れたと云って、提灯を路ばたに置いて何時まで....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
。 「貴公たちはこの噂をなんと思う」 こう云って一座の若者らを見渡したのは、鰻縄手に住む奥州浪人の岩下左内であった。追分から浅嘉町へ通ずる奥州街道の一部を、俗....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
、追分の名主のことについて、何がそんな評判を立てさせたか、名主ともあろうものが腰縄手錠で松代藩の方へ送られたとはどうしたことか、そのいぶかしさを半蔵にたずねた。....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
には足軽が四人も控えた。村じゅうのものがそこへ呼び出された。六十一人もの村民が腰縄手錠で宿役人へ預けられることになったのも、その時だ。七十歳以上の老年は手錠を免....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
人一組の読売りが通ります。 「エエ、これはこのたび、世にも珍らしき京都は三条小橋縄手《さんじょうこばしなわて》池田屋の騒動」 「おや、池田屋騒動って何でしょう」....
母への追慕」より 著者:上村松園
私にとっては初旅といっていいものである。 私が十歳位のころである。 母は三条縄手を下ったところにある親類の家へ行って留守の折、家で姉と二人で母の帰りを待って....
甲州鎮撫隊」より 著者:国枝史郎
るぜ!」 と、佐幕方の、目明文吉に対抗させるため、長州藩が利用している目明の、縄手の嘉十郎は云って、植甚の方へ歩きかけた。 女夜叉の本性 (この男ならや....
子規居士と余」より 著者:高浜虚子
い食いした。その帰りであった。空には月があった。満月では無くて欠けた月であった。縄手の松が黒かった。もうその頃汽車はあったが三人はわざと一里半の夜道を歩いて松山....
わが母を語る」より 著者:上村松園
も早く家へ帰りたいと思い思いしたものです。 こんなことを思い出します。夕方から縄手の三条の親類へ母が行きましたが、夜になっても帰らない、雪もチラチラしてくる。....
美味い豆腐の話」より 著者:北大路魯山人
美味い豆腐は食べられなくなってしまった。 ところが、わずかに一軒、京都の花街、縄手四条上ルところに、昔ながらの方法を遵奉して、よい豆腐をつくっている家があった....
エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
除、余部村小法師八人え被之。 西院村より 米六石三斗三升八合 三条縄手裏 同五斗五升 知恩院東川ばた屋敷 同一斗一升八合 右の....
編輯雑感」より 著者:喜田貞吉
て部落に出入りしたのは、確か明治四十二年の事であったと記憶する。当時自分は京都の縄手三条下る処に寓居しておった。したがってその付近にある旧悲田院の部落や、旧エタ....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
升とあるが、「皮多」とも「穢多」とも書いてない。 同国 同郡市場村大字幾地字算所縄手(「山荘太夫考」) 但馬 朝来郡与布土村大字迫間字産所(同上) 伯耆 東伯郡....