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「縦令〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

縦令の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
親子」より 著者:有島武郎
て来て、すっかり精算をしようというわけになっているのだ。明日の授受が済むまでは、縦令永年見慣れて来た早田でも、事業のうえ、競争者の手先と思わなければならぬという....
惜みなく愛は奪う」より 著者:有島武郎
。このいたいけな姿を憐れむのを自己に阿るものとのみ云い退けられるものであろうか。縦令道徳がそれを自己|耽溺と罵らば罵れ、私は自己に対するこの哀憐の情を失うに忍び....
三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
、精々痛むようにちくり/\と肉を刺すから堪らない。大抵のものは泣いてしまいます。縦令ば歯を食い縛って堪えても、身体の方が承知しないで、きっと熱が発る、五六日は苦....
ある抗議書」より 著者:菊池寛
たでしょう。 私の義兄にしろ、姉にしろ、平常から何の信仰も持って居ません。また縦令、如何なる信仰を持って居たにしろ、咄嗟に生命を奪われた、死際の刹那を苦悶と忿....
死生」より 著者:幸徳秋水
は、今の社会には洵とに千百人中の一人で、他は皆不自然の夭死を甘受するの外はない、縦令偶然にして其寿命のみを保ち得ても、健康と精力とが之に伴わないで、永く窮困・憂....
灰燼十万巻」より 著者:内田魯庵
たら絶対に買えないものは無いだろうが、一冊でも多く外国書籍を普及したい日本では、縦令再び同じものを得られるとしても、焼けたものは矢張日本の文化の損失である。 ....
かんかん虫」より 著者:有島武郎
男であった。何しろケルソン市だけでも五百人から居る所謂かんかん虫の事であるから、縦令市の隅から隅へと漂泊して歩いた私でも、一週間では彼等の五分の一も親交にはなっ....
薬草取」より 著者:泉鏡花
札が打ってあるのでございましょう。 貴方は、そうして御経をお読み遊ばすくらい、縦令お山で日が暮れても些ともお気遣な事はございますまいと存じます。」 言いかけ....
霊界通信 小桜姫物語」より 著者:浅野和三郎
で了うのでした。『良人は自分の眼の前で打死したではないか……憎いのはあの北條……縦令何事があろうとも、今更おめおめと親許などに……。』 鬼の心になり切った私は....
霊訓」より 著者:浅野和三郎
りて手がかりを獲、真の信仰者はわれ等の教によりて幸福と、進歩との鍵を掴み、そして縦令千歳の後に至るとも、この教の覆ることは絶対にないと信ずる。何となればわれ等の....
淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
の領分は応挙や探幽のような巨匠がかつて一度も足を踏入れた事のない処女地であった。縦令この地域は狭隘であり磽※であっても厳として独立した一つの王国であった。椿岳は....
鴎外博士の追憶」より 著者:内田魯庵
の思うままを有体にいうと、純文芸は鴎外の本領ではない。劇作家または小説家としては縦令第二流を下らないでも第一流の巨匠でなかった事を肯て直言する。何事にも率先して....
二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
らそっちへ行ってしまうのサ、」と無造作にいった。 が、哈爾賓へ行って何をした?縦令聊かにもせよ旅費まで出して呼ぶからには必ず何かの思わくが徳永にあったに違いな....
二葉亭追録」より 著者:内田魯庵
だろう。 だが、実をいうと二葉亭は舞台監督が出来ても舞台で踊る柄ではなかった。縦令舞台へ出る役割を振られてもいよいよとなったら二の足を踏むだろうし、踊って見て....
絶望より生ずる文芸」より 著者:小川未明
此れを取扱うに生命なき場合は、決してそれを現実とは思わないのである。此れに反し、縦令形体はなくとも作者の主観なり神経なりが通って居ればそれは現実である。故に一人....