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「罹〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

罹の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
」より 著者:芥川竜之介
そうである。 能勢五十雄は、中学を卒業すると間もなく、肺結核《はいけっかく》に《かか》って、物故した。その追悼式《ついとうしき》を、中学の図書室で挙げた時、....
春の夜」より 著者:芥川竜之介
妙に気の滅入《めい》るのを感じた。それは一つには姉も弟も肺結核《はいけっかく》に《かか》っていたためであろう。けれどもまた一つには四畳半の離れの抱えこんだ、飛....
報恩記」より 著者:芥川竜之介
うてい》人力には及ばない筈です。そこへわたしは去年の末から、吐血《とけつ》の病に《かか》ってしまいました。 どうか恨《うら》みを返してやりたい、――わたしは....
彼 第二」より 著者:芥川竜之介
ェだった。(彼はそれから半年《はんとし》ほど後《のち》、天然痘《てんねんとう》に《かか》って死んでしまった。)僕等は明るい瑠璃燈《るりとう》の下《した》にウヰ....
黒衣聖母」より 著者:芥川竜之介
の母親の弟になる、茂作《もさく》と云う八ツばかりの男の子が、重い痲疹《はしか》に《かか》りました。稲見の母親はお栄《えい》と云って、二三年|前《ぜん》の疫病に....
湖南の扇」より 著者:芥川竜之介
「ところが君の出迎いなんだよ。Bさんは生憎《あいにく》五六日前からマラリア熱に《かか》っている。」 「じゃBさんに頼まれたんだね?」 「頼まれないでも来るつ....
水の三日」より 著者:芥川竜之介
講堂で、災民《りさいみん》慰問会の開かれる日の午後。一年の丙組(当日はここを、僕ら――....
捨児」より 著者:芥川竜之介
と笑う事もあるようになったと思うと、二十七年の春|※々《そうそう》、夫はチブスに《かか》ったなり、一週間とは床《とこ》につかず、ころりと死んでしまいました。そ....
将軍」より 著者:芥川竜之介
ど》りかかってきたのですから。」 もう一人の支那人、――鴉片《あへん》の中毒に《かか》っているらしい、鉛色の皮膚《ひふ》をした男は、少しも怯《ひる》まずに返....
侏儒の言葉」より 著者:芥川竜之介
喜び、或は火裏の殉教を愛した基督教《キリストきょう》の聖人たちは大抵マソヒズムに《かか》っていたらしい。 我我の行為を決するものは昔の希臘人《ギリシアじん》....
追憶」より 著者:芥川竜之介
紙になるだろうと思う。僕は喉頭結核の上に腸結核も併発している。妻は僕と同じ病気にり僕よりも先に死んでしまった。あとには今年五つになる女の子が一人残っている。…....
宇宙の始まり」より 著者:アレニウススヴァンテ
素がいかに混合されているか、その程度の差によってその人の情操、根性が定まり、またりやすい病もきまり、生死も定まるのである。このいろいろな混合の仕方は、出生の瞬....
霊訓」より 著者:浅野和三郎
は『仏』のみを説きて、神意の行使者たる天使の存在を説かない教は、殆ど半身不随症にって居る。無論ここにいう天使は、西洋式の表現法を用いたまでで、日本式でいえば八....
良夜」より 著者:饗庭篁村
、浅草三間町の深沢某なり。この人元よりの東京人にてある年越後へ稼ぎに来りしが病にりて九死一生となり、路用も遣い果して難渋窮まりしを伯父が救いて全快させしうえ路....
瘠我慢の説」より 著者:石河幹明
積みたる端船覆没してかえって大に損したることあり。その後カションはいかなる病気にりけん、盲目となりたりしを見てこれ等の内情を知れる人々は、因果覿面、好き気味な....