群書類従[語句情報] »
群書類従
「群書類従〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
群書類従の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「十二支考」より 著者:南方熊楠
りこれを見て曰く、わが児を驚かし、天下を得るを晩《おそ》からしむるを致す〉。『続
群書類従』に収めた「稲荷鎮座由来」には、荷田氏の祖は竜頭太とて、和銅年中より百年....
「日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
土佐、遠江、伊勢、紀伊、伊豆、上総、八丈島などで、海には海嘯が吼えた。 「土佐国
群書類従」に載せた「谷陵記」には、「崎浜談議所の住僧権大僧都阿闍利暁印が記録略に....
「東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
たとある。永正二年には春日祭上卿をも勤めた。高野山の参詣に至っては、その記事が『
群書類従』所載の「高野参詣日記」につまびらかであるからこれを省くが、その途中堺・....
「「焚書時代」の出現」より 著者:中井正一
退いて図書館界を省みると、この一隅の世界もまた、火炎の中にあるのである。いま、『
群書類従』を古本として売れば、本としてよりも、紙として売る方が値がよいと専門家は....
「図書館法楽屋話」より 著者:中井正一
である。信じたいのである。 今、青年達の読書力は日に日に落ちつつある。一年前『
群書類従』の古本に売る値段は紙屋に硫酸で溶かすために売る値段と余り違わず、日に日....
「秋の筑波山」より 著者:大町桂月
歴史に趣味を有する者は、何人も北畠|親房の関城書といふ者を知れるなるべし。其書、
群書類従の中に収めらる。これ当年親房が結城親朝に与へたる手紙をひとまとめにしたる....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
撮したのも見たことがあったし、写本の一種も見たことはあったが、今は私の手もとには
群書類従もない。岩波文庫本が一冊あるだけだ。ほかの本のことは知らないが、岩波本は....
「「良書普及運動」に寄せて」より 著者:中井正一
のこころから去っていったとしたならば、それはまことに容易ならざることである。 『
群書類従』が、紙の値段と一つに売られて、硫酸で焼かれていると聞いたとき、まことに....
「梅雨晴」より 著者:永井荷風
、唖々子の持出した『通鑑』や『名所図会《めいしょずえ》』、またわたしの持出した『
群書類従』、『史記評林』、山陽の『外史』『政記』のたぐいとは異って、皆珍書であっ....
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
しく田原藤太秀郷の後裔であったという。その伝うるところ区々ではあるが、試みに『続
群書類従』所収、「奥州御館系図」によると、 秀郷―千常―文脩┬文行―公光―公清―....
「法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
最も難点であった日本紀の記事に対して、鋭利なるメスを振るわれたのであった。同君は
群書類従所収聖徳太子伝補闕記の記事によって、日本紀の天智天皇九年庚午四月卅日夜半....
「本朝変態葬礼史」より 著者:中山太郎
ものを跨《また》ぎ、箕の先より米を取り食い、門口の柱を廻りて内に入るなり。(土佐
群書類従豊永郷葬事略記) この記事は明治三年に認《したた》められたものである....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
昭和四年に佐佐木信綱博士が発見されたのによって、その考は全く覆されてしまった。『
群書類従』に入れられた『金槐集』には、終に一本及び印本所載とある五十二首の歌が附....
「I駅の一夜」より 著者:中谷宇吉郎
文庫が一棚ぎっしり並んでいて、その下に「国史大系」だの、『古事記伝』だの、「続|
群書類従《ぐんしょるいじゅう》」だのという本がすっかり揃《そろ》っているのである....
「エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
にいた天部部落が、今になおあまべと呼ばれていたらしい。「祇園三鳥居建立記」(「続
群書類従」所収)に、 。云云。 と見えている。なおエタと細工との関係は、次項を....