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群臣
「群臣〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
群臣の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「古典風」より 著者:太宰治
性侮辱は、きわめて自然に行われ、しかも、歴史的なる見事さにまで達した。時の唇薄き
群臣どもは、この事実を以《もっ》て、アグリパイナの類《たぐい》まれなる才女たる証....
「碧蹄館の戦」より 著者:菊池寛
鮮兵の一部隊が敵へ投降した為に戦利あらず退いた、とごまかして報告した。朝廷では、
群臣をして評議せしめた。或者曰く、南方の水軍を集めて日本の虚を衝くべし。他は曰く....
「鳥羽伏見の戦」より 著者:菊池寛
説いた建白書を、慶喜に呈した。当時在京中の慶喜悟る所あり、十月十三日在京の諸大名
群臣を二条城に集めて諮問したる上、翌十四日朝廷へ奏問に及んだのである。 いずく....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
の十二日に大小|目付以下の諸有司を京都二条城の奥にあつめ、大政奉還の最後の決意を
群臣に告げた時、あるいは政権返上の後は諸侯割拠の恐れがあろうとの説を出すものもあ....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
、三留野御一泊。二十八日妻籠お小休み、峠お野立て、それから馬籠御昼食とある。帝が
群臣を従えてこの辺鄙な山里をも歴訪せらるるすずしい光景は、街道を通して手に取るよ....
「新ハムレット」より 著者:太宰治
とりできめた訳じゃ無いんだ。そんな事は出来るもんじゃない。ポローニヤスをはじめ、
群臣の評定に依って取りきめられた事なんだ。僕だって今すぐ、位に即けるほどの男じゃ....
「李陵」より 著者:中島敦
な打撃となった。こうした打撃は、生来|闊達《かったつ》だった彼の心に、年とともに
群臣への暗い猜疑《さいぎ》を植えつけていった。李蔡《りさい》・青霍《せいかく》・....
「弟子」より 著者:中島敦
。孔※の名において新衛侯|擁立《ようりつ》の宣言があるからとて急に呼び集められた
群臣である。皆それぞれに驚愕《きょうがく》と困惑《こんわく》との表情を浮《う》か....
「法窓夜話」より 著者:穂積陳重
わば、須《すべか》らくまず臣に死を賜わるべし。 と答え終って、神色自若。満廷の
群臣色を喪《うしな》い汗を握る暇もなく、皇帝震怒、万雷一時に激発した。 咄《と....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
を従えたら汝に乗らぬはず、それに先だって足を挫くとは不心得の至りと言った。それが
群臣の耳に入ったので、多年兵を動かして人臣辛苦|息《や》まざるにこの上北海を攻む....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
薬猟)したもうた時(天皇七年五月五日)、皇太子(大皇弟、大海人皇子)諸王・内臣・
群臣が皆従った。その時、額田王が皇太子にさしあげた歌である。額田王ははじめ大海人....
「大捕物仙人壺」より 著者:国枝史郎
順応せしめ、日本の国威を揚げしめようとした。そこで慶喜は十月十三日、京都二条城に
群臣を集め、大政奉還の議を諮詢した。その結果翌十四日、いよいよ大政奉還の旨を朝廷....
「日本上古の硬外交」より 著者:国枝史郎
そこで神功皇后様には御自ら新羅御討伐の壮挙を御決行あそばす御決心をあそばされ、
群臣に、 「軍を興し兵を動かすは国の大事にして安危、成敗は繋って焉に在り。今、吾....
「日本男子論」より 著者:福沢諭吉
、また挽回すべからざるに至るべし。往古、我が王朝の次第に衰勢に傾きたるも、在朝の
群臣、その内行を慎まずして私徳を軽んじ、内にこれを軽んじて外に公徳の大義を忘れ、....
「エリザベスとエセックス」より 著者:片岡鉄兵
年の「十二夜祭」当日、デンマアク大使のために大夜会が開かれ、女王とエセックスは、
群臣の前で、手に手をとって踊った。はやくも流れた五年の昔の、幸福の頂上だったもう....