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「義光〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

義光の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
る筈だそうです。笙の秘曲なぞを伝えるのも矢はりそれだそうで、例の足柄山で新羅三郎義光が笙の伝授をする図に、義光と時秋とがむかい合って笙を吹いているのは間違ってい....
川中島合戦」より 著者:菊池寛
幾多の合戦中での精華と云ってもよいのである。 武田の家は、源義家の弟|新羅三郎義光の後で、第十六代信虎の子が信玄である。幼名勝千代、天文五年十六歳で将軍足利義....
長篠合戦」より 著者:菊池寛
る、御旗、無楯に誓って戦法を変えじ、と云ったので、軍議は決定して仕舞った。旗とは義光以来相伝の白旗、無楯とは同じく源家重代の鎧八領のうちの一つ、共に武田家の重宝....
神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
涼をした。 今年は七月の八日というのがちょうどその日に当っていた。 新羅三郎義光以来連綿と続いて来た武田家である。その間およそ五百年。珍器も集まろうというも....
旅愁」より 著者:横光利一
実家の滝川家の先祖は、士族とはいえ徳川系の譜代大名の士族ではなく、その以前の最上義光の家臣であった。最上家が上杉謙信の枝城の村上に滅ぼされて、その家臣の滝川家も....
十二支考」より 著者:南方熊楠
て捜索すると、本願空しからずとうとう見出しました。それは『奥羽永慶軍記』二に最上義光《もがみよしみつ》、延沢能登守信景の勇力を試みんとて大力の士七人を選出す。「....
蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
田原参向遅怠の為に罪を得んとするの事情が明らかであったところから、最上《もがみ》義光に誑《たぶら》かされた政宗の目上が、政宗を亡くして政宗の弟の季氏《すえうじ》....
社会時評」より 著者:戸坂潤
』一月号に於ける直木三十五の紹介によると通称「おどん」)吉井勇伯自身、引いて柳原義光伯、近藤滋弥男令弟夫妻、久我通保男嗣子等々、舞台に登る役者の数も大分多いが「....
霊界通信 小桜姫物語」より 著者:浅野和三郎
人か? 本文をお読みになれば判る通り、この女性こそは相州三浦新井城主の嫡男荒次郎義光の奥方として相当世に知られている人なのであります。その頃三浦一|族は小田原の....
レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
に対するおぼろな直覚をもって彼ジャヴェルは、悪をくじく聖《きよ》き役目における正義光明真理の権化《ごんげ》であった。彼はその背後と周囲とに、無限の深さにおいて、....
剣侠」より 著者:国枝史郎
すがの要介も、郷士ながらも所の領主、松平|大和守には客分にあつかわれ、新羅三郎|義光の後胤甲斐源氏の名門であり、剣を取らせては海内の名人、しかも家計は豊かであっ....
柳原燁子(白蓮)」より 著者:長谷川時雨
父とし、柳原二位のお局《つぼね》を伯母《おば》として生れた、現伯爵貴族院議員柳原義光氏の妹で、生母は柳橋の芸妓だということを、ずっと後《のち》に知った女《ひと》....
赤坂城の謀略」より 著者:国枝史郎
の上を蓑笠で蔽いあそばされた、大塔宮護良親王様と、同じ姿の七人の家来、村上彦四郎義光や、平賀三郎や片岡八郎等であった。 「御武運ひらきますでござります」 云い....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
してしまった。局外者で戯曲を発表する人もあらわれなくなった。山田|美妙氏の『村上義光錦旗風』が単行本として出版されたが、これも余り問題にならなかった。須藤南翠氏....
私本太平記」より 著者:吉川英治
舞ったという。何せいすでにお覚悟のていだった。 時に。――宮方の一将村上彦四郎義光が来て、切に、ご短慮をいさめ、宮を初めわが子義隆をも、たって南谷から天河方面....