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「義助〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

義助の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
屋上の狂人」より 著者:菊池寛
人物 狂人 勝島義太郎 二十四歳 その弟 末次郎 十七歳の中学生 その父義助 その母 およし 隣の人 藤作 下男 吉治 二十歳....
神社合祀に関する意見」より 著者:南方熊楠
き》、襁褓《むつき》などを乾すこと絶えず。それより遠からず西の王子と言うは、脇屋義助が四国で義兵を挙げんと打ち立ちし所なり。この社も件の出立王子と今一大字の稲荷....
」より 著者:岡本綺堂
でいた。かれらは江戸の四谷|忍町の質屋渡世、近江屋七兵衛とその甥の梅次郎、手代の義助であった。 「おまえ様がたはお江戸の衆でござりますな。」と、立場茶屋の婆さん....
恨みの蠑螺」より 著者:岡本綺堂
当主で、名は四郎兵衛、二十六歳。女はその母のお杉、四十四歳。供の男は店の奉公人の義助、二十三歳である。この一行は四月二十三日の朝に江戸を発って、その夜は神奈川で....
天狗外伝 斬られの仙太」より 著者:三好十郎
! 筒井順慶が轍じゃ! 既に長州には福原越後が兵を率いて動くと約しているし、久坂義助、桂、佐久間克三郎等あり、因州に八木良蔵、沖剛介、千葉重太郎等が共に立つと言....
小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
ものの、世はほんとうの太平に立ちかえった訳ではない。新田義貞は討たれてもその弟の義助がいる、楠正成はほろびてもその子の正行がいる。そのほかにも奥州の北畠、九州の....
斬られの仙太」より 著者:三好十郎
筒井順慶が轍じゃ! すでに長州には福原越後が兵を率いて動くと約しているし、久坂義助、桂、佐久間克三郎等あり、因州に八木良蔵、沖剛介、千葉重太郎等が共に立つとい....
私本太平記」より 著者:吉川英治
都の公卿ほどな風流でも贅でもないが、そんな情緒が彼は好きなのである。弟の脇屋義助や近臣らと、行く春の一夜を惜しんで、思うざま飲み更かしたことだった。 する....
私本太平記」より 著者:吉川英治
「新兵衛か」 廊の上に、顔へ酔を花やがせている人がみえた。義貞の弟、脇屋ノ二郎義助である。 近くの宝泉寺村脇屋に別所をかまえているので、脇屋殿とみなよんでい....
私本太平記」より 著者:吉川英治
者どもの沸きたっている表門に近い中門ノ廊の端まで出て行った。 そして、弟の脇屋義助を呼びつけ、昼の喧嘩のいきさつを訊きとっていたが、それが判ると、彼はなおさら....
私本太平記」より 著者:吉川英治
貞はいま、身のしまるおもいで、南殿の下にぬかずいた。――すこしさがって、弟の脇屋義助、式部|義治、堀口美濃などの身内が、これまた、ひとかたまりに平伏している。 ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
」 その高倉の館を見舞って、むなしげに二条の営へもどってきた弟の脇屋右衛門ノ佐義助は、すぐ自分をかこんで問う諸将へむかって言っていた。 「瘧病だそうだ……。数....
私本太平記」より 著者:吉川英治
の袖に床几をおけ。そしてすぐ軍議をひらこう。昨夜らいの物見の情報も聞きたい。――義助をはじめ、堀口、大館、江口、世良田、居あわす者はみな寄れと申せ」 「はっ」 ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
て、帰洛した。しかしそのたくさんな首を実検して行っても、義貞の首はなかった。脇屋義助の首も、洞院ノ実世の首も、なかった。 直義はいまいましげに、実検を終ると言....