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羽後
「羽後〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
羽後の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
六年十一月に越前にも大きな地震があった。 正保元年三月には日光山、同年九月には
羽後の本荘、同三年四月には陸前、磐城、武蔵、同四年五月には、また武蔵、相模に大き....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
わるる神が鼠を制し得ざるに疑いを懐《いだ》き、ついに一派の宗旨を立てたとあった。
羽後《うご》の七座山には勤鼠大明神の祠あり。これは昔七座の神に命ぜられて堤に穴を....
「山の湯雑記」より 著者:折口信夫
かりであった。其中では、やっぱり月山筍が一番印象している。おなじ地竹と言っても、
羽後の三山に亘って生える笋は、唯の篶竹のよりは肥えている。鶴岡の市場へ行って見た....
「姫柚子の讃」より 著者:佐藤垢石
であった。これが盛暑の候であったなら、どんなに味品高い鮎であったろう。 羽前と
羽後の国境の岩山から滴りでて、新庄の町の西北を流れる鮭川へも行ってみた。この川に....
「神楽坂」より 著者:矢田津世子
かにうまいことも思い付かないので、これをちょっとの間に合せにした。爺さんが渡仙(
羽後の名立たる高利貸の渡辺仙蔵)の手代をしていた頃、大番頭の丸尾さんというのが大....
「女心拾遺」より 著者:矢田津世子
っている場合が多い。子供の頃の夫人は、母のこうした姿のみを眺めて暮してきた。父は
羽後でも名だたる酒の醸造元で、今でも名酒と折紙をつけられている「鶴亀」「万代」な....
「手仕事の日本」より 著者:柳宗悦
秋田県、宮城県、山形県、福島県となります。国の名で申しますと、陸奥、陸中、陸前、
羽後、羽前、磐城、岩代の七ヵ国となります。昔の「みちのく」即ち道の奥と呼んだ国の....
「遠野物語」より 著者:柳田国男
を許さぬなり。 ○オシラサマの中にもこの神あること『蝦夷風俗|彙聞』に見ゆ。 ○
羽後苅和野の町にて市の神の神体なる陰陽の神に正月十五日白粉を塗りて祭ることあり。....
「野草雑記・野鳥雑記」より 著者:柳田国男
デッポッポなどという例である。南部の九戸ではデデポッポ、北郡の浦野館はデテココ、
羽後でも田沢湖岸はデデポッポであるが、横手・横沢あたりはテテポッポといっている。....
「野草雑記・野鳥雑記」より 著者:柳田国男
て飛ぶ声を聴いてそっちへ飛んで行ったと叫ぶように、考え出した者があったのである。
羽後大館にはこの鳥はいたって少ないが、試みに何と啼くかと尋ねて見ると、やはりまた....
「春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
査よりも雪の春景色を見たいものだ。それには庄内方面よりもいっそう雪の深かりそうな
羽後の仙北地方がよかろう。かねて見たいと思っている後三年の役の遺蹟金沢柵址を、雪....
「木綿以前の事」より 著者:柳田国男
、それを雑巾よりも細かく堅く刺して、麻布のかわりに上覆いに着ていると見えて、私も
羽後の由利郡の山村をあるいた時に、小学校の生徒がみなこの木綿のアツシを着ているの....
「こども風土記」より 著者:柳田国男
晩に、子どもが人の家の前に来てわる口を言う風習が、稀にはまだ農村には残っている。
羽後の飛島などではそれが必ず両の手に一本ずつ、ヨンドリ棒を持っていてすることにき....
「日本の伝説」より 著者:柳田国男
商売ちがいのように見えますが、それがかえって昔からの、姥神の役目であったのです。
羽後の金沢の専光寺のばばさんは、寺では三途河の姥だといっていますが、乳の少い母親....
「年中行事覚書」より 著者:柳田国男
、四季の順を追うて書いて行くことにする。 正月十六日を「にお積み」というのは、
羽後の雄物川流域などの風である。ニオはすなわち稲村のこと、中央部でスズミともスズ....