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「老荘〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

老荘の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
渾沌未分」より 著者:岡本かの子
臘の擬古狂詩の断片をざっと飜訳したものだそうだ。それと同じような意味を父の敬蔵は老荘の思想から採って、「渾沌未分の境涯」だといつも小初に説明していた。 瞼に水....
母子叙情」より 著者:岡本かの子
べき思想です。そこで僕等は『何処へ行くべき』です」 「あなたの云うそれは、東洋の老荘思想の虚無よ。大乗哲学でいう『空』とか『無』とかはまるで違うのよ。あらゆるも....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
学たりとも、言わば外来の刺激を受けて発展したにほかならない。あの本居宣長が儒仏や老荘の道までもその荒い砥石として、あれほど日本的なものを磨きあげたのを見ても、思....
俳諧の本質的概論」より 著者:寺田寅彦
あるが、この方面から見ても蕉門俳諧の完成期における作品の中には神儒仏はもちろん、老荘に至るまでのあらゆる思想がことごとく融合して一団となっているように見える。そ....
青年」より 著者:森鴎外
なら修身斉家治国平天下で、解決は直ぐに附く。そこへ超越的な方面が加わって来ても、老荘を始として、仏教渡来以後の朱子学やら陽明学というようなものになるに過ぎない。....
世界の一環としての日本」より 著者:戸坂潤
浅くしたものは鹿子木員信博士である。鹿子木博士は九州帝大の哲学教授としてよりも、老荘会や猶存社・愛国勤労党や帝大日の会・の幹部や顧問としての方が有名かも知れない....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
礼記ではなし、四書五経のうちには、大衆という文字はねえ……してみると、諸子百家、老荘、楊墨、孟子、その辺にも大衆という文字は覚えがねえが……でも、どこかで見たよ....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
楽者といったようなもので、道楽という字面からいえば、道を楽しむのですから、孔孟や老荘の亜流でなければならないのに、普通、道楽者といってしまえば、箸にも、棒にも、....
細木香以」より 著者:森鴎外
既に七十に達して、竹川町西裏町に隠居していた。子之助は纔に字を識るに及んで、主に老荘の道を問うたそうである。董斎は董其昌風の書を以って名を得た人で、本石町塩河岸....
郷愁の詩人 与謝蕪村」より 著者:萩原朔太郎
蕉の方が西洋の人生的詩人に近いのである。 芭蕉のイデアした哲学は、多分に仏教や老荘《ろうそう》の思想を受けてる。「古池や蛙《かわず》とびこむ水の音」の句境の如....
茶の本」より 著者:岡倉由三郎
からも知られるとおり、茶の会に関する種々の閑談やら感想やらを媒介として人道を語り老荘と禅那とを説き、ひいては芸術の鑑賞にも及んだもので、バターの国土の民をして、....
西瓜」より 著者:永井荷風
の方向を指導し来《きた》ったものは、支那人と西洋人との思想であった。支那の思想は老荘と仏教とを混和した宋以後のものである。西洋の思想は十九世紀のロマンチズムとそ....
抵抗のよりどころ」より 著者:三好十郎
りました。ことに東洋のうんだ深い知恵のたいがいは、この手の心法をふくんでいます。老荘や道教や禅や真言、それから道元《どうげん》や日蓮《にちれん》や親鸞《しんらん....
つゆのあとさき」より 著者:永井荷風
ず、同僚の教授連とも深くは交《まじわ》らず、唯|自家《じか》の好む所に従って専ら老荘《ろうそう》の学を研究し、著書も少くはないのであるが、一として世に示したもの....
宮本武蔵」より 著者:吉川英治
のことは松吹く風と聞いて長命をしとう存じまする」 「はて。御本心で」 「近ごろ、老荘の書物など、暇にあかして読みかじるにつけても、この世は、楽しんでこそ人生。楽....