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耘
「耘〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
耘の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「運命」より 著者:幸田露伴
を待つ。かつて盛夏に当って済寧の守将、民を督して城を築かしむ。克勤曰く、民今|耕
耘暇あらず、何ぞ又|畚※に堪えんと。中書省に請いて役を罷むるを得たり。是より先き....
「太虚司法伝」より 著者:田中貢太郎
の至元丁丑の年のことで、恐ろしい兵乱があった後の郊外は、見るから荒涼を極めて、耕
耘する者のない田圃はもとの野となって、黄沙と雑草が斑ら縞を織っていた。兵燹のため....
「怪談牡丹灯籠」より 著者:三遊亭円朝
歳、女房おみねは三十五歳、互に貧乏|世帯を張るも萩原新三郎のお蔭にて、或時は畑を
耘い、庭や表のはき掃除などをし、女房おみねは萩原の宅へ参り煮焚洒ぎ洗濯やお菜ごし....
「日本イデオロギー論」より 著者:戸坂潤
は、機械化ということは革命を意味するのではなくて寧ろ破壊をさえ意味するだろう。耕
耘は機械で出来ても、苗を植える機械はあるまい、マルクスの考えた大農主義は、農業そ....
「薄紅梅」より 著者:泉鏡花
をさえ煩わした。 が、再び思うに、むやみと得物を振廻しては、馴れない事なり、耕
耘の武器で、文金に怪我をさせそうで危かしい。 また飜って、お嬢さんの出のあたり....
「真夏の夢」より 著者:有島武郎
ままになって快く二人のはいるに任せてありました。おかあさんは門をはいって、芍薬と
耘斗葉の園に行きました。見ると窓にはみんなカーテンが引いてありまして、しかもそれ....
「土地」より 著者:豊島与志雄
しめて、木の根といわず草叢といわず、大きな土塊を起していった。平助はその後を鍬で
耘《うな》いながら、草木の根を土から選り分けて、それを荒地の片隅へ運んで、小高い....
「秋の幻」より 著者:豊島与志雄
事を思った。そして其処には、母の懐の中には自分の温みがあり、黒い地面には自分の耕
耘した青い野菜が育っていた。 その時彼は、存在することの嬉しさを感じ、また存在....
「ジャン・クリストフ」より 著者:豊島与志雄
の照る中で、まだ議論のために激昂《げきこう》したまま、疳癪《かんしゃく》まぎれに
耘《うな》っていた。クリストフは書物を手にして、青葉|棚《だな》の下にすわってい....
「ジャン・クリストフ」より 著者:豊島与志雄
った。二、三の川を飛び越さなければならなかった。次には、甜菜《てんさい》の畑と耕
耘《こううん》地との広々とした中に出た。とうていそれから出られないような気がした....
「ジャン・クリストフ」より 著者:豊島与志雄
ところどころにそびえていた。その向こうには畑がうちつづいていた。閑寂だった。地を
耘《うな》ってる牛の鳴声や、犁《すき》を取ってる百姓の甲《かん》高い声が聞こえて....
「ジャン・クリストフ」より 著者:豊島与志雄
の戦場や廃墟《はいきょ》の間、フランスの山も野もすべては、見渡す限り遠くまで、耕
耘《こううん》されていた。それはヨーロッパ文明の大庭園であった。その比類なき魅力....
「博物誌」より 著者:岸田国士
眼が見える。 夕陽を浴びて、牛の群れは、牧場のなかをのろのろと、彼らの影の軽い
耘鍬を牽いて行く。 Les Mouches d'eau 牧場の真ん中にはたった....
「次郎物語」より 著者:下村湖人
を先にして而して後に賃金を取れと云ふが如き教へなり。ここに農家病人等ありて、耕し
耘り手おくれなどの時、草多きところを先にするは世上の常なれど、右様の時に限りて、....
「議会見物」より 著者:佐藤垢石
、支那の草を買ったことがある。まことに、抜け目のない商工大臣でもあろう。 貴田
耘平が『産業問題』を提げて演壇へのぼって行った。あごの鬚髯は、随分白くなったが、....