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「耶〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

耶の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
黒衣聖母」より 著者:芥川竜之介
―― 「どうです、これは。」 田代《たしろ》君はこう云いながら、一体の麻利観音《マリヤかんのん》を卓子《テーブル》の上へ載せて見せた。 麻利観音と称....
道祖問答」より 著者:芥川竜之介
味得《みとく》した。よって、和泉式部《いずみしきぶ》も、道命が眼《まなこ》には麻夫人《まやふじん》じゃ。男女《なんにょ》の交会も万善《ばんぜん》の功徳《くどく....
侏儒の言葉」より 著者:芥川竜之介
《と》らねばならぬ。『パリサイの徒の如く、悲しき面もちをなすこと勿《なか》れ。』蘇《やそ》さえ既にそう云ったではないか。賢人とは畢竟《ひっきょう》荊蕀《けいき....
さまよえる猶太人」より 著者:芥川竜之介
族の夫人たちが、珊瑚《さんご》の念珠《ねんじゅ》を爪繰《つまぐ》って、毘留善麻利《びるぜんまりあ》の前に跪《ひざまず》いた日本を、その彼が訪れなかったと云う筈....
婦系図」より 著者:泉鏡花
れであったか。 足|一度静岡の地を踏んで、それを知らない者のない、浅間の森の咲姫に対した、草深の此花や、実にこそ、と頷かるる。河野一族随一の艶。その一門の富....
宇宙の始まり」より 著者:アレニウススヴァンテ
に開けていた諸民族もまた一般には前条に述べたような考えの立場に踏み止まっていた。蘇の生れる前の時代においてローマは既に高い文化をもっていたにかかわらず、その当....
最終戦争論」より 著者:石原莞爾
危いという印象をインド人が受けたのです。そこで藤井行勝師と親交のあったインドの「羅陀」という坊さんが「日本が負けると大変だ。自分が感得している仏舎利があるか....
春昼」より 著者:泉鏡花
。 唯今の、その浅黄の兵児帯、緋縮緬の扱帯と来ると、些と考えねばならなくなる。蘇教の信者の女房が、主キリストと抱かれて寝た夢を見たと言うのを聞いた時の心地と....
唄立山心中一曲」より 著者:泉鏡花
、柱が一本。……風の吹まわしで、松明の尖がぼっと伸びると、白くなって顕れる時は、蘇の看板の十字架てったやつにも似ている……こりゃ、もし、電信柱で。 蔭に隠れ....
政談十二社」より 著者:泉鏡花
、ああいうのではございません。二三度何とかいう新聞にも大騒ぎを遣って書きました。蘇の方でむずかしい、予言者とか何とか申しますとのこと、やっぱり活如来様が千年の....
雪霊記事」より 著者:泉鏡花
ています――六本指なぞと、気もない事です。確に見ました。しかもその雪なす指は、摩夫人が召す白い細い花の手袋のように、正に五弁で、それが九死一生だった私の額に密....
ファラデーの伝」より 著者:愛知敬一
治家にて別人なり。 クラッパム(地)Clapham. クエーカー Quaker.蘇教宗派の名。 グラス(人)Glas. ジョン・グラス。イギリス人。一六九五―....
春昼後刻」より 著者:泉鏡花
の行末が極ったら、直ぐにあとを追おうと言った、言の端にも顕れていた。 唯その有であるために、男のあとを追いもならず、生長らえる効もないので。 そぞろに....
清心庵」より 著者:泉鏡花
一 米と塩とは尼君が市に出で行きたまうとて、庵に残したまいたれば、摩も予も餓うることなかるべし。もとより山中の孤家なり。甘きものも酢きものも摩は....
三枚続」より 著者:泉鏡花
晩続けて私が魘されたのを聞いたんで、婦人二人はもう厭だとかぶりを振ります。 有の内は、夢だろうぐらいで私も我慢をしましたけれども、そうどうも手首へ極印を....