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聖
「聖〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
聖の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「邪宗門」より 著者:芥川竜之介
手を合せて、随喜するほどの老爺《おやじ》じゃ。轍《わだち》の下に往生を遂げたら、
聖衆《しょうじゅ》の来迎《らいごう》を受けたにも増して、難有《ありがた》く心得た....
「じゅりあの・吉助」より 著者:芥川竜之介
吉助の一生である。そうしてまた日本の殉教者中、最も私《わたくし》の愛している、神
聖な愚人の一生である。
(大正八年八月)....
「河童」より 著者:芥川竜之介
前へ歩み寄り、その龕の中の半身像にこういう説明を加え出しました。
「これは我々の
聖徒のひとり、――あらゆるものに反逆した
聖徒ストリントベリイです。この
聖徒はさん....
「奇怪な再会」より 著者:芥川竜之介
》が描《か》いたらしい、伏羲文王周公孔子《ふくぎぶんおうしゅうこうこうし》の四大
聖人の画像だった。
「惟皇《これこう》たる上帝《じょうてい》、宇宙の神
聖、この宝....
「黒衣聖母」より 著者:芥川竜之介
《きりしたんしゅうもん》禁制時代の天主教徒《てんしゅきょうと》が、屡《しばしば》
聖母《せいぼ》麻利耶の代りに礼拝《らいはい》した、多くは白磁《はくじ》の観音像で....
「葱」より 著者:芥川竜之介
書いた通りだから、そこを読み返して頂きたい。
お君さんは長い間、シャヴァンヌの
聖《サン》・ジュヌヴィエヴのごとく、月の光に照らされた瓦屋根を眺めて立っていたが....
「おぎん」より 著者:芥川竜之介
られたらしい。長崎《ながさき》あたりの村々には、時々日の暮の光と一しょに、天使や
聖徒の見舞う事があった。現にあのさん・じょあん・ばちすたさえ、一度などは浦上《う....
「おしの」より 著者:芥川竜之介
明《じょうとうみょう》の油火《あぶらび》が一つ、龕《がん》の中に佇《たたず》んだ
聖者の像を照らしている。参詣人はもう一人もいない。
そう云う薄暗い堂内に紅毛人....
「少年」より 著者:芥川竜之介
》を行うのと同じことである。奇蹟は彼の職業ではない。美しい円光を頂いた昔の西洋の
聖者《しょうじゃ》なるものの、――いや、彼の隣りにいるカトリック教の宣教師は目前....
「侏儒の言葉」より 著者:芥川竜之介
によれば、或は柱頭の苦行を喜び、或は火裏の殉教を愛した基督教《キリストきょう》の
聖人たちは大抵マソヒズムに罹《かか》っていたらしい。
我我の行為を決するものは....
「俊寛」より 著者:芥川竜之介
の宗人《むねと》にはならなかった。女人《にょにん》に愛楽を生じたためしは、古今の
聖者にも稀《まれ》ではない。大幻術の摩登伽女《まとうぎゃにょ》には、阿難尊者《あ....
「ファラデーの伝」より 著者:愛知敬一
るべきもので、国教という様になりて国家と関係をつけるのは間違っている。吾等も新約
聖書にあるだけ、すなわち初期のキリスト教徒の信じただけを信ずべきであると説いた。....
「寡婦」より 著者:秋田滋
たりとした、静かな声をして口を利く娘で、眼つきと云ったら、それはそれは優しくて、
聖母の眼つきにそッくりと申したいほどでした。年をとった殿様は、その娘を自分の屋敷....
「スリーピー・ホローの伝説」より 著者:アーヴィングワシントン
・ジーと名づけていたところでは、彼らは用心していつでも帆をちぢめ、航海者の守り、
聖ニコラスに加護をねがいながら、横断したものだ。そこの東側の岸にくいこんでいる広....
「親ごころ」より 著者:秋田滋
しい顔であると思われるのだったが、はッきり思い出すことは出来なかった。それがこの
聖水かけの老人の心をくるしめだしたので、彼は自分の衰えた記憶を助けてもらう積りで....