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聖代
「聖代〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
聖代の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「二老人」より 著者:国木田独歩
のお務めを終えて、やれやれ御苦労であったと恩給をいただく身分になったのだ。治まる
聖代《みよ》のありがたさに、これぞというしくじりもせず、長わずらいにもかからず、....
「支倉事件」より 著者:甲賀三郎
名目に座する弁明書」と書き、最後に「被告人支倉喜平」と書かれている。 「判官閣下
聖代仁慈の大正の今日警察内に拷問なきものと思い居りしに、そうではない、今尚神楽坂....
「相馬の仇討」より 著者:直木三十五
もしなかろうが、昔の寄席は耳学問、早学び、徒然と勉強の二道かけて流行ったものだ。
聖代娯楽が民衆と結付いて、活動はさておき、寄席の類さして流行らぬとも思えぬが、そ....
「新釈諸国噺」より 著者:太宰治
戒警報の日にも書きつづけた。出来栄はもとより大いに不満であるが、この仕事を、昭和
聖代の日本の作家に与えられた義務と信じ、むきになって書いた、とは言える。 昭和十....
「父」より 著者:金子ふみ子
を読んだ。そして、ああ、その時私はどんな感じをしたことであろう。曰く、 明治の
聖代になって、西洋諸国との交通が開かれた。眠れる国日本は急に目覚めて巨人のごとく....
「世界の一環としての日本」より 著者:戸坂潤
日本の社会構成の基礎に制約されて、要するに清算されて了った。その清算過程は昭和の
聖代に於てさえ反覆されるという次第だ。だから日本では民衆というものを例えば民間と....
「社会時評」より 著者:戸坂潤
の養成を天職とする全国二十五万の小学校教員は、三万六千余名の代表者を送って、昭和
聖代の御慶事 皇太子殿下の御降誕を奉祝し併せて忠君愛国の日本精神を昂揚して教育報....
「踊る地平線」より 著者:谷譲次
からピストルじゃあるまい。ナイフだろう。が、とにかくこれは立派な威嚇である。この
聖代に容易ならない事件だ。とは言え、何だか訳のわからないこと夥しいが、察するとこ....
「ガリバー旅行記」より 著者:スウィフトジョナサン
侍ることを許され、その他、いろいろ優遇されるであろう。 ベルファボラック皇宮にて
聖代第九十一月十二日」 私は大喜びで満足し、誓いのサインをしました。たゞ、この....
「大鵬のゆくえ」より 著者:国枝史郎
彼ら何者にござりましょうや?」 「見られた通り妖怪じゃ」 「しかし、まさか、この
聖代に。……」 「妖怪ではないと思われるかな」 「はい、さよう存ぜられますが」 ....
「馬琴の小説とその当時の実社会」より 著者:幸田露伴
会のどこをさがしてもなかなか居りませぬ人物です。当時どころではありません。明治の
聖代の今日だって、犬塚信乃だの犬飼現八だの、八郎御曹司為朝だの朝比奈三郎だの、白....
「狂女と犬」より 著者:小酒井不木
に逢わされるかも知れぬので、村の人たちは見て見ぬ振りをするのでありました。明治の
聖代に、こんなことが平気で行われて居ようとはあなたも思い及びますまいが、彼等のよ....
「飢餓地帯を歩く」より 著者:下村千秋
言ったのである。 「もしこの青森県下に、只一人でも、餓死者を出したなら、それこそ
聖代の恥辱である。われわれは絶対に、
聖代を恥辱せしめてはならぬ!」 私は、県下....
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
みずからその俘囚なることを明言しているのである。 弟子は東夷の遠酋なり。生れて
聖代の征戦なきにあひ、長く明時の仁恩多きに属す。蛮陬夷落之が為に事少く、虜陣戎庭....
「フレップ・トリップ」より 著者:北原白秋
ています。」 「パンを焼いたり、牧畜をやったり、それはおとなしいものです。」 「
聖代の徳化にうるおっている訳でさ。ありがたいもので。」とAさんは敷島に火を点じた....