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聖衆
「聖衆〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
聖衆の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「邪宗門」より 著者:芥川竜之介
手を合せて、随喜するほどの老爺《おやじ》じゃ。轍《わだち》の下に往生を遂げたら、
聖衆《しょうじゅ》の来迎《らいごう》を受けたにも増して、難有《ありがた》く心得た....
「出家とその弟子」より 著者:倉田百三
にひざまずいて私がそれをうける。(だんだん顔が輝いて来る)その日から私はあの尊い
聖衆のなかの一人に加えられるのだ。なんという平和であろう。なんという光栄であろう....
「連環記」より 著者:幸田露伴
此人の往生に就ても面白い云伝えが残っている。普通の信心深い仏徒や居士の終りには、
聖衆来迎、紫雲音楽めでたく大往生というのが常である。それで西方|兜率天か何処か知....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
なた方は、いったい、だれをおよびになろうという御了簡《ごりょうけん》なのですか。
聖衆は雲に乗っておいでになりまする、信心のともがらは遠きと、高きを厭《いと》わぬ....
「学生と先哲」より 著者:倉田百三
的向上とに生きる高貴なる人格たらんことをすすめ、かくて理想的共同体を――究竟には
聖衆倶会の地上天国を建設せんがために、自己を犠牲にして奔命する者、これこそまこと....
「美の日本的源泉」より 著者:高村光太郎
美にまで高めるに至ったのも自然である。 写真を掲げた一図は高野山に蔵せられる「
聖衆来迎図」のほんの一部分、中央|阿弥陀如来の向って右に跪坐する観世音菩薩の像で....
「山越しの阿弥陀像の画因」より 著者:折口信夫
|南家郎女の目に、阿弥陀仏とも言うべき端厳微妙な姿と現じたと言う空想の拠り所を、
聖衆来迎図に出たものだ、と言おうとするのでもない。そんなものものしい企ては、最初....
「或る秋の紫式部」より 著者:岡本かの子
れ」 (二人は縁先へ身体を乗出して聴く) 聖「筏を漕ぐ、浪の音が聞える……あれは
聖衆の乗らるる迎えの舟だ。五濁深重の此岸を捨てて常楽我浄の彼岸へ渡りの舟。櫂を操....
「青春の息の痕」より 著者:倉田百三
思います。並みいるものは尊い力に打たれました。私は姉は今はもはや美しい仏となって
聖衆たちと交わり、私たち生き残れる者をあわれみ守っていてくれることと信じます。 ....