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聖道
「聖道〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
聖道の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「善の研究」より 著者:西田幾多郎
愛するが即ちこれを知るである。印度《インド》のヴェーダ教や新プラトー学派や仏教の
聖道門《しょうどうもん》はこれを知るといい、基督教や浄土宗はこれを愛すといいまた....
「語られざる哲学」より 著者:三木清
とならなければならない。自己の精進によるにせよ、他力の救済によるにせよ、もしくは
聖道《しょうどう》の難行によるにせよ、浄土の易行によるにせよ、私たちの魂が最後の....
「出家とその弟子」より 著者:倉田百三
さるのだ。悪人のための救いなのだからな。 唯円 善いものでなくては助からぬという
聖道の教えとはなんという相違でございましょう。 親鸞 他人はともあれ、私のような....
「運命」より 著者:幸田露伴
ずや諸を身に本づけ、諸を政教に見わし、以て物を成す可き者は、其れ惟聖人の学|乎、
聖道を去って而して循わず、而して惟蠹にこれ帰す。甚しい哉惑えるや、と。孝孺の此言....
「愛と認識との出発」より 著者:倉田百三
。――そして運命の力を感ずる。『歎異鈔』のなかにも、何人も知るごとく、 慈悲に
聖道浄土のかはりめあり。
聖道の慈悲といふは、ものをあはれみ、かなしみ、はぐくむな....
「連環記」より 著者:幸田露伴
。随分奇異な先生ぶりではあったろうが、何も当面を錯過するのでは無く、寸暇の遊心を
聖道に運んでいるのみであるから、咎めるべきにはならぬことだったろう。もともと狂言....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
せんのだが、あの禅師が落ちたということで、修行というものも当てにはならぬものだ、
聖道《しょうどう》は畢竟《ひっきょう》魔行に勝てない、あの禅師が、あの歳でさえあ....
「取返し物語」より 著者:岡本かの子
包みに額を押しあて泣きむせぶ。舞台一同のものも落涙) 蓮如『時は末法、機は浅劣。
聖道永く閉じ果てて、救いの術はただ信心。他力易行と教えて来たが、思いに勝さる事実....
「親鸞」より 著者:三木清
。末代に生まれた機根の衰えた衆生にとってまことにふさわしい教えである。時機相応。
聖道自力の教えは機に合わずして教果を収めることができぬ。浄土他力の一法のみ時節と....
「青春の息の痕」より 著者:倉田百三
愛は、他人の運命を動かす力なき愛です。親鸞の「心のままに助け取ることありがたき」
聖道の愛にすぎません。私は浄土の愛がほしいです。私はコンセントレーションをせねば....
「古寺巡礼」より 著者:和辻哲郎
いた。これは仏徒として正しい。乞食に生きた。それもまた同様に正しい。それだけでは
聖道を詐称することにはならない。行基の伝道に興奮して四民が業をすて家を出た。それ....
「法然行伝」より 著者:中里介山
るとすれば、釈迦の教えにも正像末《しょうぞうまつ》の格別があるようなものである。
聖道門《しょうどうもん》の修業は正像の時の教えであるが故に上根上智のものでなけれ....
「仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
、日蓮、道元らの諸祖の新興仏教の出たのもこのためであります。 仏教を大別して、
聖道門と易行門とに二分します。
聖道門は修業的、易行門は信仰的の区別はありますが、....