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聚楽
「聚楽〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
聚楽の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「報恩記」より 著者:芥川竜之介
いかも知れません。が、わたしも思いのほか、盗みばかりしてもいないのです。いつぞや
聚楽《じゅらく》の御殿《ごてん》へ召された呂宋助左衛門《るそんすけざえもん》の手....
「碧蹄館の戦」より 著者:菊池寛
無理に勧説して連れて来たのは天正十八年七月である。折柄秀吉は関東奥羽へ東征中で、
聚楽の第に会見したのは十一月七日である。この使が帰国しての報告の中に、秀吉の容貌....
「小田原陣」より 著者:菊池寛
ば、他は問題ではない。箱根山を千成|瓢箪の馬印が越せば、総て解決されるのである。
聚楽第行幸で、天下の群雄を膝下に叩頭させて気をよくして居た時でも、秀吉の頭を去ら....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
としたのであって、先祖田原藤太秀郷の郷の字を取ったのである。天正の十六年、秀吉が
聚楽《じゅらく》の第《だい》を造った其年、氏郷は伊勢の四五百森《よいおのもり》へ....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
りへ、グザッ! 柄も通れとばかり刀を突っこんだ。と、見事な京壁、稲荷《いなり》と
聚楽《じゅらく》をまぜた土が、ジャリッ! と刃をすり、メリメリッと細《ほそ》わり....
「堕落論」より 著者:坂口安吾
に於て彼等はその必要を感じるよりも自らの居る現実を疑ることがなかったのだ。秀吉は
聚楽に行幸を仰いで自ら盛儀に泣いていたが、自分の威厳をそれによって感じると同時に....
「西荻随筆」より 著者:坂口安吾
る。女給一同より、とある。よほど大きな店にちがいない。中央線沿線は文士族の群生|
聚楽地帯で、僕は行ったことがないが、ピノチオなどゝいう文士御専用の喫茶室があった....
「血ぬられた懐刀」より 著者:国枝史郎
み出た。 「これ貴様は何者か! 我々の姿が眼に付かぬか! 銀の元結、金繍の羽織、
聚楽風だぞ、
聚楽風だぞ!」 云われて秋安は眼を止めて見た。 いかにもそれは聚....
「五右衛門と新左」より 著者:国枝史郎
を、俺は俺の舌の先で、嘲弄し揶揄するのだ。例えば或る時こんなことがあった。そうだ
聚楽第の落成した時だ、饗応の砌、忌言葉として、火という言葉を云わぬよう、殿下から....
「空中征服」より 著者:賀川豊彦
い。私はある計画をもって、あの城を築いたのであります。また桃山城を築いた時でも、
聚楽を建てた時でも私は日本人として恥しくないものを建てたいと努力しました。それが....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
の響きだの、問屋場役人の呶鳴る声だの、町芸人の佗しい音楽だのがつつまれて、人間の
聚楽を賑わしていた。 「あたし、お通さんていうひとのことは、又八さんからよく聞い....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
はしないぞ。信長公がお偉いの、太閤様がどうだのといっても、もし商人がなかったら、
聚楽も桃山も、築けはしない。異国からいろんな物もはいりはしない。わけても堺商人は....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
意地も我慢もなく、みな、ヘタばり坐ってしまった。 山内は、上ノ堂、下ノ堂の二|
聚楽にかけて、岩磐を割るこだまやら工匠らの物声やらで、すさまじいばかりだった。…....
「雷門以北」より 著者:久保田万太郎
は「いままでの浅草」の土中ふかくひそんだ根幹である…… 「ちんやの横町」のいま「
聚楽」というカフェエのあるところは「新恵比寿亭」という寄席のもとあったところであ....