肋膜炎[語句情報] » 肋膜炎

「肋膜炎〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

肋膜炎の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
武装せる市街」より 著者:黒島伝治
/\となだれこんだ。白い服の看護婦がちら/\していた。ベッドには病人がねていた。肋膜炎、腎臓炎、胃かいよう、心臓弁膜不全症――内科と外科は別だった。多くの部屋を....
恋愛曲線」より 著者:小酒井不木
うものは、研究そのものが僕の生命であり、又恋人であった。時には、雨の日の前に古い肋膜炎の跡が痛み出すように、心の古傷も疼き出すことがあったが、何事も過去のことゝ....
小説 不如帰 」より 著者:徳冨蘆花
族の母として路傍に遺棄せらるる幾多の霊魂を拾いてははぐくみ育つるを楽しみとしつ。肋膜炎に悩みし病余の体を養うとて、昨月の末より此地に来たれるなるが、かの日、あた....
光と風と夢」より 著者:中島敦
シドニイへ遊びに来たのだが、同行のイソベルは歯痛、ファニイは感冒、自分は感冒から肋膜炎《ろくまくえん》。何のために来たのだか解らぬ。それでも当市では、プレスビテ....
簡略自伝」より 著者:佐左木俊郎
大学などを転々して、比較的文学の道に直接とする学科の聴講に努めた。――するうち、肋膜炎にやられ、医師から、約二カ年間の座食を命ぜられ、徹底的に文学書を熟読するの....
草迷宮」より 著者:泉鏡花
、浮べる輩はぶくりと沈んで、四辺は白泡となったと聞く。 また十七ばかり少年の、肋膜炎を病んだ挙句が、保養にとて来ていたが、可恐く身体を気にして、自分で病理学ま....
恢復期」より 著者:堀辰雄
「鳩ぽっぽ」で遊ぶようにそれで遊ぼうとしていた。――だが或る朝、院長は、彼に彼が肋膜炎《ろくまくえん》を再発していることを告げた。そして彼が夜ふけの幻聴のように....
」より 著者:斎藤茂吉
である。 昭和二十一年の一月に、大石田というところに移転したが、三月はじめから肋膜炎になって臥床していると、四月にはもう蚤が出た。一つ二つに過ぎなかったものが....
旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
と、赤十字社の難波博士が主侯の診察に来られる定日《じょうび》だったので、あたしは肋膜炎の手当がほどこされた。冬のはじめのことだった。 赤十字病院へ入れるにして....
道連」より 著者:豊島与志雄
文芸なんかに対しても、専門の僕以上に深い見解を持っていた。平素病身ではあったが、肋膜炎をやったというだけで、どこといって特別の病気はなさそうだった。それが死んだ....
白藤」より 著者:豊島与志雄
。 も一つは、彼女自身の病気でした。初めは単なる感冒とばかり思われていたのが、肋膜炎の症状を呈してき、やがて、可なりの肺浸潤が発見されました。微熱が続き、食慾....
人口論」より 著者:マルサストマス・ロバート
く、男子は九分の一、女子は一三分の一である。統計表は、この異常な死亡率は主として肋膜炎、高熱、及び結核によって生ずることを示している。すなわち肋膜炎で総人口の四....
智恵子の半生」より 著者:高村光太郎
うであるが、卒業後|肋膜にいつも故障があり、私と結婚してから数年のうちに遂に湿性肋膜炎の重症のにかかって入院し、幸に全治したが、その後或る練習所で乗馬の稽古を始....
鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
に長命の人以上の仕事をせられたのですから。元来強健という体質ではなく、学生時代に肋膜炎を患ったこともありましたし、その作の「仮面」に拠れば、結核もせられたらしく....
彼が殺したか」より 著者:浜尾四郎
、或る人達の眉を顰《ひそ》めさせて居たのです。 一年程経ちますと、清三はひどい肋膜炎を患って、半年程|臥床《がしょう》するようになりましたが、その後は、殆どK....