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肝煎
「肝煎〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
肝煎の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「電報」より 著者:黒島伝治
志願者が非常に多いと云って来た。市内の小学校を出た子供は、先生が六カ月も前から、
肝煎《きもい》って受験準備を整えている上に、試験場でもあわてずに落ちついて知って....
「老妓抄」より 著者:岡本かの子
った。 中国の名優の梅蘭芳《メイランファン》が帝国劇場に出演しに来たとき、その
肝煎《きもい》りをした某富豪に向って、老妓は「費用はいくらかかっても関《かま》い....
「吉良上野の立場」より 著者:菊池寛
っていた。 「第一、近頃の世の中はあまり贅沢になりすぎている。今度の役にしても、
肝煎りの吉良に例の付届をせずばなるまいが、これも年々額が殖えていくらしい」 「い....
「恩讐の彼方に」より 著者:菊池寛
はただちに報復の旅に上ったのである。もし、首尾よく本懐を達して帰れば、一家再興の
肝煎《きもい》りもしようという、親類一同の激励の言葉に送られながら。 実之助は....
「蘭学事始」より 著者:菊池寛
くるのを見ると、いつになく丁寧に会釈した。 「杉田氏! 昨夜は、貴所《きしょ》の
肝煎りで使いを下さったそうで、ありがたく存じおる。お陰で、かような会いがたき企て....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
一人、歩兵斥候三人、おのおの一人ずつの小者を連れて集まって来ている。足軽の小頭と
肝煎の率いる十九人の組もいる。その他には、新式の鉄砲を携えた二人の藩士も出張して....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
駅人馬の継立ても繁雑をきわめると言われたころだ。街道付近の村々からは人足差配方の
肝煎りが日々両三名ずつ問屋場へ詰め、お定めの人馬二十五人二十五匹以外の不足は全部....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
彼に言わせると、享保以前までの彼の先祖はみな無給で庄屋を勤めて来たくらいで、村の
肝煎とも百姓の親方とも呼ばれたものである。その家に生まれた甲斐には、せめてこうい....
「天馬」より 著者:金史良
る玄竜だと述べていた。それ故東京の或る知名な作家尾形が京城へ立ち寄った際、大村の
肝煎《きもい》りで朝鮮の幾人かの文人達と一席を設けたところ、その席上で三十分もせ....
「光り合ういのち」より 著者:倉田百三
した。 その頃学校に正気会という武芸のための会が出来た。これは校長や、生徒監の
肝煎りで出来たもので、今から考えると勢力のある運動家を通して生徒を馴致しようとす....
「バットクラス」より 著者:岡本かの子
大した費用がかかる。 始めはこの古い家柄を衷心から尊敬するスコッチの大蔵大臣の
肝煎りで手堅い公債ばかり買い入れ、その利息で楽々生活費が支弁出来た。しかし彼の生....
「米」より 著者:犬田卯
って配給されて来ていた。それは農村人への衛生思想注入のため、どこか厚生省あたりの
肝煎りで、特に組合が実行したに相違なかった。 「体温|計ってみたところで、稲は育....
「淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
屋号をやはり伊勢屋といったので推すと、あるいは主家の伊勢長の一族であって、主人の
肝煎で養子に行ったのかも知れない。 伊藤というはその頃京橋十人衆といわれた幕府....
「斎藤緑雨」より 著者:内田魯庵
うで営まなかったが、緑雨の一番古い友達の野崎左文と一番新らしい親友の馬場孤蝶との
肝煎で、駒込の菩提所で告別式を行った。緑雨の竹馬の友たる上田博士も緑雨の第一の知....
「五重塔」より 著者:幸田露伴
太早くも大方察して老婆の心の中さぞかしと気の毒さ堪らず、よけいなことし出して我に
肝煎らせし清吉のお先走りを罵り懲らして、当分出入りならぬ由云いに鋭次がところへ行....