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胥
「胥〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
胥の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「十二支考」より 著者:南方熊楠
、この謀ずっと古くよりあった証《しるし》は『左伝』に城濮《じょうぼく》の戦に晋の
胥臣《しょしん》虎皮を馬に蒙《かぶ》せて敵の軍馬を驚かし大勝したとある。 林宗....
「惰眠洞妄語」より 著者:辻潤
も『春と修羅』とを携えることを必ず忘れはしないだろう。 夏になると私は好んで華
胥《かしょ》の国に散歩する。南華真経を枕として伯昏夢人や、列禦寇の輩と相往来して....
「死生」より 著者:幸徳秋水
た、ペロプスカヤもオシンスキーも死刑となった、王子比干や商鞅も韓非も高青邱も呉子
胥も文天祥も死刑となった、木内宗五も吉田松蔭も雲井龍雄も江藤新平も赤井景韶も富松....
「李陵」より 著者:中島敦
舌端《ぜったん》を借りてはじめて烈々《れつれつ》と火を噴くのである。あるいは伍子
胥《ごししょ》となって己《おの》が眼を抉《えぐ》らしめ、あるいは藺相如《りんしょ....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
明治四十一年六月の『早稲田文学』へ書いて置いた。『呉越春秋』か『越絶書』に、伍子
胥《ごししょ》越軍を率いて、その生国なる楚に討ち入り、楚王の宮殿を掠《かす》めた....
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
庵の門人で、学殖|儕輩を超え、かつて昌平黌の舎長となったこともある。当時弘前|吏
胥中の識者として聞えていた。 抽斎は天下多事の日に際会して、言偶政事に及び、武....
「残されたる江戸」より 著者:柴田流星
リとなれば、軒の風鈴に緑を吹き来る風の音|喧からず、そのチリチリに誘われてツイ華
胥の国に遊び去る、周荘が胡蝶の夢も殊の外に安らかで、醒めぎわの現なしにも愛らしき....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
倍せり。寡婦、これを見て、これなる念いを作《な》す。我今すなわち已《すで》に好き
胥《むこ》を得たりと。すなわち、指語すらく中に宿るべしと。阿那律すなわち前《すす....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
人無罪になったとある。これは春秋の時呉王が人民と雑《まざ》って飲もうとするを伍子
胥《ごししょ》が諫《いさ》めて、昔白竜清冷の淵に下り化して魚となったのを予且《よ....
「死刑の前」より 著者:幸徳秋水
ロプスカヤもオシンスキーも、死刑となった。王子比干や商鞅も韓非子も高青邱も、呉子
胥や文天祥も、死刑となった。木内宗五も吉田松陰も雲井竜雄も、江藤新平も赤井景韶も....
「沼夫人」より 著者:泉鏡花
分らんが、床に入って、可心持に、すっと足を伸す、背が浮いて、他愛なくこう、その華
胥の国とか云う、そこへだ――引入れられそうになると、何の樹か知らないが、萌黄色の....
「東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
、また武士たる者の社会的地位が総体に向上したというわけでもない。武士という者が相
胥《あいもち》いてその位置を高め、社会の表面に現われるようになったのは、武力によ....
「P丘の殺人事件」より 著者:松本泰
緑色のブラウスを着た甲斐甲斐しいビアトレスの姿になった。 坂口は軈《やが》て華
胥《ねむり》の国に落ちて了った。 翌朝彼が目を醒したのは、九時を過ぎていた。麗....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
さげさせた。――そして呉王はこの天下第一の美人をえて大いに驕った。呉の良臣、伍子
胥の諫言も耳に入れず、荒婬と、連日の宴舞に、国政もみだれ果てた。 ついに、待つ....