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能代
「能代〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
能代の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「水の三日」より 著者:芥川竜之介
のらしい。景品の説明は、いいかげんにしてやめるが、もう一つ書きたいのは、黄色い、
能代塗《のしろぬり》の箸《はし》である。それが何百|膳《ぜん》だかこてこてある。....
「少女病」より 著者:田山花袋
室の中までさし込むので、実に暖かい、気持ちが好い。机の上には二、三の雑誌、硯箱は
能代塗りの黄いろい木地の木目が出ているもの、そしてそこに社の原稿紙らしい紙が春風....
「殺人鬼」より 著者:浜尾四郎
い角力だね。何ていうんだい」
と私に説明を求めた。
ついで天竜が土俵に登つて
能代潟《のしろがた》と戦い、掬投《すくいな》げでこれを仕止めると思わず拍手を送つ....
「たずねびと」より 著者:太宰治
線に乗りかえて山形県の新庄に出て、それから奥羽線に乗りかえて北上し、秋田を過ぎ東
能代駅で下車し、そこから五能線に乗りかえ、謂わば、青森県の裏口からはいって行って....
「火星探険」より 著者:海野十三
いようれしくなって、張とネッドを紹介すれば、ギネも、そのうしろにひかえた六人の職
能代表者を紹介した。 一同の間には、親しい気分が流れた。 「ああ、ギネさんとお....
「日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
保二年九月には周防、長門、同三年八月には遠江、三河、山城、元禄七年五月には羽後の
能代、同十年十月には相模、武蔵に、それぞれ地震があった。そして元禄十六年十一月二....
「今戸心中」より 著者:広津柳浪
えた。 八 桶には豆腐の煮える音がして盛んに湯気が発《た》ッている。
能代《のしろ》の膳には、徳利《とッくり》が袴《はかま》をはいて、児戯《ままごと》....
「海」より 著者:太宰治
。私たちは甲府から、津軽の生家に向って出発した。三昼夜かかって、やっと秋田県の東
能代までたどりつき、そこから五能線に乗り換えて、少しほっとした。 「海は、海の見....
「米国巡回文庫起源及び発達」より 著者:佐野友三郎
明年度より秋田図書館においては巡回文庫を開始し、大館(既設)及び
能代、大曲、横手(未設)の四郡立図書館に各弐百円を県税より補助せらるることとなり....
「葛飾砂子」より 著者:泉鏡花
殺したが、矢鱈無性に腹が空いた。」と立ったり、居たり、歩行いたり、果は胡坐かいて
能代の膳の低いのを、毛脛へ引挟むがごとくにして、紫蘇の実に糖蝦の塩辛、畳み鰯を小....
「式部小路」より 著者:泉鏡花
て誂の剃刀を、あわせて届けに来たと見える。かんぬしが脂下ったという体裁、笏の形の
能代塗の箱を一個、掌に据えて、ト上目づかいに差出した。それは読めたが、今声を懸け....
「手仕事の日本」より 著者:柳宗悦
出すことが出来るのでありましょうか。 郷土の人が自慢するものが幾つかあります。
能代の漆器はいつもその一つであります。「秋田春慶」とも呼ばれていて檜の柾目を素地....
「春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
ぶことは比較的遅かった。出羽方面の王化はまず海岸から入り込んだので、秋田・渟代(
能代)の辺はすでに、斉明天皇朝に阿倍比羅夫の遠征によって郡が置かれ、当時津軽の辺....
「年中行事覚書」より 著者:柳田国男
しなのだが、流す以前は町々を練り廻って、華美を競うのを主としていたように見える。
能代湊の眠流しは、ことに目ざましいものであったという。高さは三丈四丈、横幅は二丈....