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「腰越〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

腰越の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
大菩薩峠」より 著者:中里介山
た。 五 その次の日の宵の口、室町屋の店先には、竜神街道や蟻腰越《ありこしご》えをする馬子《まご》駕丁《かごかき》と、それに村の人などが、二....
人間繁栄」より 著者:豊島与志雄
れて、しめやかな淋しい気持で、茫と月の光に浮出してる遠景を眺め入った。黒々とした腰越あたりの山の端から、遠く三浦半島の山々が灰色に浮出して、その右手に満々たる海....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
の翌月、歌舞伎座で再び「泉三郎」を上演するようになったことである。これは在来の「腰越状」の泉三郎で、前の「泉三郎」とは何らの関係がある訳ではないが、「泉三郎」が....
明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
らが捕虜となる件りは、朝鮮公使の抗議に遭い、半途よりその一幕を削りて、更に「義経腰越状」を加う。 ○十一月、伊井蓉峰、水野好美らが済美団を起し、浅草公園の吾妻座....
私本太平記」より 著者:吉川英治
の外からでは、もとよりその片貌すらも窺い得ない。 が、一般の雑人たちも、昼間、腰越口から極楽寺坂を経て、町中を駈飛ばして行った早馬が、柳営の一門へ入ったことは....
私本太平記」より 著者:吉川英治
「すわ」といった心理がすぐ手伝う。 まして、執権御所の近火とあっては、六浦、腰越の遠くからさえ、この夜、駒にムチを当てた武士が少なくなかったことであろう。 ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
、新田|蔵人七郎氏義というものだった。 「七郎、大手への先陣をつとめろ。――すぐ腰越から七里ヶ浜を駈けて、極楽寺の下へせまるのだ」 「これは……」と、蔵人ノ七郎....
私本太平記」より 著者:吉川英治
つ、 「はや、鎌倉はそこ」 と、先を争っていた。 府内における、小壺、前浜、腰越の合戦などは、二十三、四日頃のことである。――敵の斯波家長は、杉本城で自刃し....
随筆 新平家」より 著者:吉川英治
たある日の義経は、彼もまた、得意ではあったのだろうと、ほほ笑まれた。 前々回の腰越状の一節は、呉文炳氏「腰越考」に拠るところが多かった。記して感謝しておく。ま....
山の人生」より 著者:柳田国男
雪中に其跡を見て盛大なることを知る。其形を見る者は早く死す。 二 駿河|安倍郡|腰越村の山中にて、雪の日足跡を見る。大きさ三尺|許、其間九尺ほどづゝ三里ばかり、....