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「膝栗毛〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

膝栗毛の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
グッド・バイ」より 著者:太宰治
画か?」 「そう。もう見て来たの。あれ、何ていったかしら、アシクリゲ、……」 「膝栗毛《ひざくりげ》だろう。ひとりでかい?」 「あら、いやだ。男なんて、おかしく....
本州横断 癇癪徒歩旅行」より 著者:押川春浪
だ。その夜は座《すわり》相撲や腕押しで夜遅くまで大いに騒いだ。ところで、水戸から膝栗毛《ひざくりげ》に鞭打って、我が一行に馳《は》せ加わった三勇士がある。水戸の....
雛がたり」より 著者:泉鏡花
掛けると、娘が、まあ、と言った。 ――あら、看板ですわ―― いや、正のものの膝栗毛で、聊か気分なるものを漾わせ過ぎた形がある。が、此処で早速|頬張って、吸子....
眉かくしの霊」より 著者:泉鏡花
一 木曾街道、奈良井の駅は、中央線起点、飯田町より一五八|哩二、海抜三二〇〇尺、と言い出すより、膝栗毛を思う方が手っ取り早く行旅の情を催させる。 ここは弥次郎兵衛、喜多八が、....
旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
ひとり旅でした。その上に着流し雪駄ばき落し差しで、駕籠にも乗らずにふわりふわりと膝栗毛なのです。 だが退屈男だけに、そのふわりふわりの膝栗毛が、何ともかとも言....
般若心経講義」より 著者:高神覚昇
もの人生は、断じて「盥よりたらいに移る五十年」であってはなりません。 東海道中膝栗毛のことのです。 所詮、私は私です。私の用事は、この私が自分でやらねばなり....
歌行灯」より 著者:泉鏡花
にして、来往の渡船難なく桑名につきたる悦びのあまり…… と口誦むように独言の、膝栗毛五編の上の読初め、霜月十日あまりの初夜。中空は冴切って、星が水垢離取りそう....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
物の耳学問で、多くは聞いた風に過ぎないのである。今一つ交野で読んだものに一九の『膝栗毛』等がある。これもなかなか面白い物と思った。 かように貸本の味が分ると共....
明治十年前後」より 著者:淡島寒月
すべてが改った。言い換えれば、悉く旧物を捨てて新らしきを求め出した時代である。『膝栗毛』や『金の草鞋』よりも、仮名垣魯文の『西洋道中膝栗毛』や『安愚楽鍋』などが....
戯作者」より 著者:国枝史郎
召しましょう」 一九は酷くはしゃぎ廻り無闇と風呂を勧めるのであった。 東海道中膝栗毛 「左様でござるかな、仰せに従い、では一風呂いただきましょうかな」 馬琴....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
、中村勘五郎、中村鶴蔵、岩井松之助などという顔触れで、一番目狂言は「妹背山」と「膝栗毛」のテレコ。二番目は松之助の出し物として「てれめん」を据えていた。 この....
淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
伴をして俗に柘植黙で通ってる千家の茶人と、同気相求める三人の変物|揃いで東海道を膝栗毛の気散じな旅をした。天龍まで来ると川留で、半分落ちた橋の上で座禅をしたのが....
江戸芸術論」より 著者:永井荷風
の多し。武士の大小をたばさみて雪隠《せついん》に入《い》れる図の如きは、一九が『膝栗毛《ひざくりげ》』の滑稽とその揆《き》を一にするものならずや。 三 仏蘭西....
十六、七のころ」より 著者:永井荷風
、しかし今日記憶に残っているものは一つもない、帝国文庫の『京伝傑作集』や一九の『膝栗毛』、または円朝の『牡丹燈籠《ぼたんどうろう》』や『塩原多助』のようなものは....
西瓜」より 著者:永井荷風
く》う。電燈の薄暗さ。出入《ではいり》する客の野趣を帯びた様子などに、どうやら『膝栗毛』の世界に這入《はい》ったような、いかにも現代らしくない心持になる。これも....