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自刃
「自刃〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
自刃の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「或敵打の話」より 著者:芥川竜之介
に仰天《ぎょうてん》しながら、ともかくもその遺書を開いて見た。遺書には敵の消息と
自刃《じじん》の仔細《しさい》とが認《したた》めてあった。「私儀《わたくしぎ》柔....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
砂村先にお遊山《ゆさん》へおもむいたみぎり、つらあてにそのお駕籠《かご》先で割腹
自刃を遂げたのでありました。そういう場合のそういう事件を仮借することなしに裁断す....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
まって命を断つなぞと笑止きわまる死に方をするはずがない。よしんば、腹切るすべも、
自刃するすべも知らないための入水にしたところで、大小差したまま投身するというのは....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
その長子|岡崎三郎信康《おかざきさぶろうのぶやす》なる者が、父家康の怒りにあって
自刃したとき、これを介錯《かいしゃく》した天方|山城守《やましろのかみ》の一刀が....
「島原の乱」より 著者:菊池寛
島子の一戦に寺沢勢を敗走せしめ、本戸まで追撃して、ついに大将藤兵衛を、乱軍の中に
自刃せしめた。何しろ、島中の人民はほとんど総てが信徒なので、征討軍が放つ密偵は悉....
「大阪夏之陣」より 著者:菊池寛
東軍は秀頼の籠る山里|曲輪を目がけて砲撃したから、翌五月八日、遂に秀頼淀君と共に
自刃し、治長、速水守久、毛利勝永、大蔵卿等之に殉じた。因に、『土御門泰重卿記』に....
「真田幸村」より 著者:菊池寛
幸堯等は幸村と同じ戦場で斃れた。 一子大助は、城中において、秀頼公の最期間近く
自刃して果て、父の言葉に従った。....
「老中の眼鏡」より 著者:佐々木味津三
ころ、織部正が江戸要害説を固執して肯じなかったために、怒って幽閉したのを憤おって
自刃したと言う憶測だった。もしも堀家恩顧の家臣が恨みを抱いているとするなら、その....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
われたとの報知もある。その時、水戸側で三人は闘死し、一人は縛に就き、三人は品川で
自刃したという。東禅寺の衛兵で死傷するものが十四人もあり、一人の書記と長崎領事と....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
散乱し、久坂、寺島、入江らの有力な同僚も皆戦死したあとで、天王山に走って、そこで
自刃した。 この真木和泉の死について、景蔵の所感もその手紙の中に書き添えてある....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
稲葉氏へ縁談御約諾申し上げ置き候ところ、図らずも心得違いにて去月五日土蔵二階にて
自刃に及び、母妻ら早速見つけて押しとどめ、親類うち寄り種々申し諭し、医療を加え候....
「みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
来た。雁は二たび武蔵野の空に来鳴いた。此四ヶ月の間には、明治天皇の崩御、乃木翁の
自刃、など強い印象を人に与うる事実が相ついだ。北の病翁に如何に響いたであろうか、....
「不動像の行方」より 著者:田中貢太郎
の話などを聞かした。その「どいまつ」は後に七人程人を殺して、某という老人の介錯で
自刃したとのことであった。....
「南蛮秘話森右近丸」より 著者:国枝史郎
易に治まるまい……武田家は間もなく亡びるだろう。波多野秀治は滅亡した。尼子勝久は
自刃した。上杉|景勝は兄を追った。荒木|村重は謀反した。法燈暗く石山城、本願寺も....
「仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
向ったのは、正成の心中、唯一点、忠君の念があったからであります。そして、戦敗れ、
自刃する際に臨んで「七度この世に生れて君恩に報いん」とさえ誓っております。何とい....