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自己批判
「自己批判〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
自己批判の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「女生徒」より 著者:太宰治
ければと思うのだが、どうしたら、自分をはっきり掴《つか》めるのか。これまでの私の
自己批判なんて、まるで意味ないものだったと思う。批判をしてみて、厭な、弱いところ....
「オリンポスの果実」より 著者:田中英光
とすれば、帰りの船はまた絶えず月光が恋《こい》しいような、感傷の旅でした。ぼくは
自己批判も糞《くそ》もなく、甘《あま》くて下手な歌や詩を作り、酩酊《めいてい》し....
「思想と風俗」より 著者:戸坂潤
一つの道徳的向上の動向を示しているのだ。ただブルジョア映画そのものが現在の風俗の
自己批判を敢えてなし得ないという宿命から、吾々はこうした映画から何等道徳批判の積....
「俳句の精神」より 著者:寺田寅彦
が風流であり、飽くところを知らぬ欲望を節制して足るを知り分に安んずることを教える
自己批判がさびの真髄ではあるまいか。 俳句を修業するということは、以上の見地か....
「思想としての文学」より 著者:戸坂潤
が真剣であってもなくても、とに角彼の評論には徹頭徹尾自己弁解(小林ではないが――
自己批判という字を使っているが「わざわざ別な云い方をする必要は何処にもない」)が....
「世界の一環としての日本」より 著者:戸坂潤
存在し得ない国情の下には、民衆による政治上の批判というものも亦あり得ない。民衆の
自己批判さえもあり得ない。対他的な批判も
自己批判もない処に、文化というものは決し....
「社会時評」より 著者:戸坂潤
者階級」(副題、「戦争及び内部改革の接近を前にしてのコミンターン及び日本共産党を
自己批判する」)という八項からなる声明書とが検事局から出版されることに決ったとい....
「現代日本の思想対立」より 著者:戸坂潤
め、殆んど全部のデボーリン主義者がともかく自己の誤謬を認め、また多くの機械論者も
自己批判するに至ったことは、明らかにソヴェート哲学がレーニン的軌道の上を強力に前....
「安吾巷談」より 著者:坂口安吾
弱さ、無力をバクロしているだけだ。自己主張はどこにもない。そして言い方が面白い。
自己批判した結果、コミンフォルムの批判が正しいことを知った、とくる。すでに自己批....
「光り合ういのち」より 著者:倉田百三
たが、それだけ小胆者であった。それが善、悪ともに私に遺伝した。そして私の場合では
自己批判と超克とによって、大胆となること、敢えて人と争うこと、悪にも耐え得ること....
「いわゆる「反省」は我々を救うか」より 著者:岸田国士
に値するや否やの反省」をしてみようというのだから。 云うまでもなく、自己解剖、
自己批判は、時として知識人の好みにかなつた一種の精神的遊戯である。そして、この遊....
「十五年」より 著者:岸田国士
るほどもう十五年たつわけであるが、それだけの成長をしたかどうか、このへんで厳しい
自己批判を加えてもよさそうである。 なるほど、個人的には、いくたりか、俳優らし....
「「太平洋漏水孔」漂流記」より 著者:小栗虫太郎
のことも何もいわなくなったし、第一、こう云っている私がそうではないか。あれほど、
自己批判の眼をむけて触れようともしなかったナエーアと、いまは動物の雌雄のようにな....
「チェーホフ試論」より 著者:神西清
冷淡であった。つまり附和雷同性がまったく無かった。謙遜であったが、それは要するに
自己批判の過剰から来ており、商家の子弟に共通する性質でもあった。大学にはいってか....
「まあまあ居士の弁」より 著者:浅沼稲次郎
指導性は確立せられんとして居る。 一月大会の分裂は党員によりよき教訓を与え此の
自己批判の上に社会党躍進の大勢は整備されつつある。私は私年来の主張たる社会党一本....