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自然弁証法
「自然弁証法〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
自然弁証法の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「道徳の観念」より 著者:戸坂潤
哲学の弱点は、その自然哲学に関する騒然たる批難嘲笑を除けば(これでもエンゲルスが
自然弁証法を惹き出す歴史的根拠となったのだが)、正にこの「法の哲学」の内になけれ....
「読書法」より 著者:戸坂潤
』 8 『日本文学の世界的位置』 9 『世界哲学史』 10 『
自然弁証法』 11 『時間意識の心理』 12 『ソヴェート旅行記』 ....
「科学論」より 著者:戸坂潤
)する最後の段階、その総結果、夫が科学の「世界」、科学的世界(唯物史観)である。
自然弁証法と史的唯物論との連関は、他ならぬ唯物弁証法によって与えられる。正当な意....
「イデオロギー概論」より 著者:戸坂潤
分となる。――哲学と科学とはこのような特定な意味に於て弁証法的統一を有っている(
自然弁証法が問題になるのは取りも直さずこの点に於てである)。 さてこう考えると....
「日本イデオロギー論」より 著者:戸坂潤
に至るまでの影響に相応するものは、色々の形で意外な処に現われている。田辺元博士は
自然弁証法なるものの本来の意義を承認しない唯物論理解者の一人であるが、之も亦史的....
「現代哲学講話」より 著者:戸坂潤
今では却って私自身反対しなければならぬような見解も含まれている。例えば第一篇の「
自然弁証法」などがその最も著しいものだ。之に就いてはまだ充分に私見を決めかねてい....
「現代唯物論講話」より 著者:戸坂潤
だと云う。で単なる客観的存在としての自然が、それだけで弁証法的だと主張するような
自然弁証法の概念は、弁証法そのものの性質から云って成立しない、とそういう人達は云....
「思想としての文学」より 著者:戸坂潤
果として、同時に、自然科学に於ても亦機械論が擲たれる時なのである。唯物史観は所謂
自然弁証法と共軛的であらざるを得ないだろう。 二つの科学は世界観上の統一を有た....
「世界の一環としての日本」より 著者:戸坂潤
マルクス主義哲学なるものは、哲学ではなくて唯物史観に過ぎなかったのであり(だから
自然弁証法は否定され続けた)、その唯物史観も実は唯物論ではなくて、正に歴史哲学だ....
「辞典」より 著者:戸坂潤
ない(尤も彼自身は何も之を弁証法と呼んでいるのではないが)。自然哲学に於ける所謂
自然弁証法【本書二六ページ】の認識が夫である。ニュートン(I. Newton)が....
「現代日本の思想対立」より 著者:戸坂潤
合を試みようとしているが、注目すべきことだ。 自然科学認識論的方面では、近時、
自然弁証法が注目され、田辺元、岡邦雄、石原純、その他の諸氏によって、特に物理学方....
「最近日本の科学論」より 著者:戸坂潤
のである(田辺博士の小著『最近の自然科学』はその意味で特徴的なものだろう)。特に
自然弁証法を内容とする自然科学に関する新しい科学論は、つまり唯物論の立場から統一....
「〔付〕唯物論研究に就て(戸坂潤手記)」より 著者:戸坂潤
理学)研究会 (3) B部門(生物学、医学、心理学)研究会 (4) C部門(
自然弁証法、自然科学史)研究会 b 「社会科学、文化に於ける唯物論」関係 (5....