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自由党
「自由党〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
自由党の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
二区は三名連記である。友人作家の石川達三君と、社会党の三軒茶屋の鈴木茂三郎氏と、
自由党の東洋経済新報社長の石橋湛山氏とに投票した。 ◯晴彦は去る九日首尾よく都立....
「近時政論考」より 著者:陸羯南
第三 自由改進帝政の三派 すでにして快活民権派の泰斗、今の板垣伯は
自由党なるものを組織し、次に翻訳民権派は今の大隈伯を戴きて改進党を組織せり、しか....
「探偵夜話」より 著者:岡本綺堂
十月には政府に大更迭があって、大隈重信が俄かに野にくだった。つづいて板垣退助らが
自由党を興した。それらの事件も、溝口と矢田の両家にはなんの影響をあたえないで、両....
「阿Q正伝」より 著者:井上紅梅
格」の手紙(柿渋引の方罫紙?)を書いて、偽毛唐に託して城内に届けてもらい、自分を
自由党に紹介してくれと頼んだ。偽毛唐が帰って来た時には、秀才は四元の銀を払って胸....
「選挙殺人事件」より 著者:坂口安吾
気の毒になった。 「無所属でお立ちですが、支持するとすれば、どの政党ですか」 「
自由党でしょうな。思想はだいたい共通しております。しかし、もっと中小商工業者をい....
「安吾巷談」より 著者:坂口安吾
の、それが全て、実は五列であったのだ。見たまえ。共産党は、とても、こうはいかぬ。
自由党が共産党の五列であるというようなことは、断乎として有りえないのである。 ....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
て、中年に至るまで何をやっても成功せず、四十の年配にあっても、食いつめたあげくが
自由党の壮士となって結成式に板垣総理万歳を叫んだ。それも暮しの工夫なら無いよりは....
「有喜世新聞の話」より 著者:岡本綺堂
月には政府に大|更迭があって、大隈重信が俄かに野にくだった。つづいて板垣退助らが
自由党を興した。それらの事件も、溝口と矢田の両家にはなんの影響をあたえないで、両....
「勧善懲悪」より 著者:織田作之助
ていた。 広島|訛に大阪弁のまじった言葉つきを嗤われながら、そこで三月、やがて
自由党の壮士の群れに投じて、川上音次郎、伊藤痴遊等の演説行に加わり、各地を遍歴し....
「議会見物」より 著者:佐藤垢石
しまったのだろうが、なんとしても木暮には野人の味が乏しい。 先代木暮武太夫は、
自由党時代の代議士で、からだのどこかに国士の風があった。しかし、伜の武太夫にはそ....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
い。それをくわしく語っていたら非常に長くなる。ここではただ、それが角藤定憲という
自由党の一壮士によって大阪に創められて、さらに川上音二郎によって東京に輸入された....
「金山揷話」より 著者:大鹿卓
そうだが……」 土田はそういって、しかし憎めないという風に微笑した。 「まるで
自由党時代の人物だね」 と、私も苦笑するよりほかはなかった。 「しかしこういう....
「浅沼稲次郎の三つの代表的演説」より 著者:浅沼稲次郎
いながら八千四百万の人間が生きて行かなければならぬのであります。これがためには、
自由党の自由放任の資本主義経済によっては断じて打開されないと思うのであります。こ....
「まあまあ居士の弁」より 著者:浅沼稲次郎
とは警戒しなければならない。昨年一月の総選挙は共産党は四名から一躍三十五名になり
自由党は二百七十名院内絶対過半数を穫得した所が、日本の労働階級は勝った共産党を求....
「私の履歴書」より 著者:浅沼稲次郎
と感じた。 やがて敗戦の現実の中に、各政党の再建が進められ、保守陣営の進歩党、
自由党の結党と呼応して、われわれ無産陣営でも新党を結成することになった。二十年九....