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「自由劇場〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

自由劇場の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
紀行文家の群れ」より 著者:小島烏水
ていた。そして躍起となって、ますます山に登り、その紀行文を発表した。 左団次が自由劇場を、有楽座で開演したとき、孤雁君と前田木城(晁)君に会った。木城君とは、....
道標」より 著者:宮本百合子
移というか、年齢の推移というか、考えると一種の感慨がありますね。佐内君が左団次と自由劇場をやったのが一九〇九年。まだ二十五六で、私と少ししかちがわなかったんです....
青年」より 著者:森鴎外
これは時代思潮の上から観れば、重大なる出来事であると、純一は信じているので、自由劇場の発表があるのを待ち兼ねていたように、早速会員になって置いた。これより前....
若き精神の成長を描く文学」より 著者:宮本百合子
「青春彷徨」につづいて一九〇八年ごろ、日本で云えば明治四十二年小山内薫が初めて「自由劇場」を創立して、日本の文学は自然主義の頂点に立っていた時分に書かれた作品で....
ケーテ・コルヴィッツの画業」より 著者:宮本百合子
ずみまで示している作品として、歴史的な価値をもっている。 ケーテが、ベルリンの自由劇場に上演されたハウプトマンの「織匠」を観たのは一八九三年(明治二十六年)二....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
四十五年頃を青年時代で送った人はどんな心持で回想するでしょう。左団次と小山内薫の自由劇場の公演のとき、三田文学会は揃いの手拭で総見し、美術学校の生徒は赤い帽子の....
あるニュウ・フェイスへの手紙」より 著者:岸田国士
しさで、甲論乙駁、感嘆と憤慨との入り交る、興奮のルツボと化したそうです。 例の自由劇場の創立者アンドレ・アントワアヌは、幕間の廊下に起ちはだかって、誰憚らず、....
遠藤(岩野)清子」より 著者:長谷川時雨
はなよ》さんに求婚したのも、そんなふうな動機だった。 そしてまた、そのころは、自由劇場が、小山内《おさない》さんによって提唱され、劇運動の炬火《きょか》を押出....
熱情の人」より 著者:久保栄
して変るところがなかったのである。 たとえば、先生の伝記の重要な頁を占めるべき自由劇場の運動がそれである。この運動は、大正八年の帝劇における「信仰」同十一年の....
イプセン百年祭講演」より 著者:久保栄
合形式によって上演する運びに立ちいたりました。言うまでもなくイプセンは、文芸協会自由劇場以来、日本の新劇運動とはまことに密接な関係にありますが、おそらくは今後、....
当今の劇壇をこのままに」より 著者:岡本綺堂
今の劇壇、それはこのままでいいと思う。旧臘私は小山内君の自由劇場の演劇を見た、仲々上手だった、然しあれを今の劇壇に直にまた持って来る事も....
明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
、好評。 ○小山内薫、市川左団次共同して、十一月二十七、二十八の両日、有楽座にて自由劇場第一回公演。狂言は「ボルクマン」にて好評。 ○十二月七日、依田学海死す、....