至理[語句情報] »
至理
「至理〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
至理の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「茶の本」より 著者:岡倉覚三
)、the Law(法則)、Nature(自然)、Supreme Reason(
至理)、the Mode(方式)、等いろいろに訳されている。こういう訳も誤りでは....
「近時政論考」より 著者:陸羯南
すべからざるゆえんを言うなり。しかしてこの政論派は立憲政体の至当を認め自由制度の
至理を認め毫も旧時の慣例に固着するところあらず、しからば自ら保守と称すといえども....
「思想と風俗」より 著者:戸坂潤
の文学がモラルを語る所以も亦之だ。 今この道徳の立場、即ち文学の立場が、科学乃
至理論の立場とどこで異るかを説いている暇がない。夫は恐らく形象の問題と自己(自我....
「道徳の観念」より 著者:戸坂潤
た段階が、「自然の哲学」の世界たる自然であるとして、更に、この自然とは実は概念乃
至理性が自分で自分を引き離したものに過ぎなかったのであり、自然それ自身はもはや概....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
るるところだったが、後には鬼かえって槌を以て人を打ち困らせたと見ゆ。『抱朴子』の
至理の巻に、呉の賀将軍、山賊を討つ、賊中、禁術《きんじゅつ》の名人あって、官軍の....
「日本イデオロギー論」より 著者:戸坂潤
よって規定される内容自身までが一定不変なものだとは主張しない。寧ろそうした悟性乃
至理性の内容は、悟性乃
至理性自身の判断力によって合理的に訂正され進歩せしめられる....
「現代唯物論講話」より 著者:戸坂潤
性を有たぬものと考えられる。実際カントでは自発性を有つものは感性ではなくて悟性乃
至理性なのである。こうして、カント哲学の根柢にも横たわっていると考えられる模写理....
「認識論とは何か」より 著者:戸坂潤
り得ない。まして理論的体系をやである。 だがそれにも拘らず、一切の認識は体系乃
至理論体系と無縁であることは出来ない。なぜなら、理論は常に体系的であったからだ。....
「思想としての文学」より 著者:戸坂潤
芸評論の現状と同じに、印象的・無組織・非科学的な段階を抜け出てはいないが、科学乃
至理論の評論、及びその評論化の徴しとして、意味のある現象であると思う。 吾々は....
「辞典」より 著者:戸坂潤
lism【独】Realismus【仏】〔Re'alisme〕. 広く観念論乃
至理想主義に対す。観念乃
至理想でない処の事実乃至現実を以て、思考乃至情意の出発点....
「認識論としての文芸学」より 著者:戸坂潤
準があってそう云えるわけだが、その規準になるものは何か。夫は取りも直さず科学的乃
至理論的な認識なのである。実際、科学的理論(特に自然科学の夫)は認識の普遍妥当性....