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至言
「至言〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
至言の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「名人伝」より 著者:中島敦
》ねた一人に答えて、紀昌は懶《ものう》げに言った。至為《しい》は為《な》す無く、
至言は言を去り、至射は射ることなしと。なるほどと、至極《しごく》物分《ものわか》....
「惜みなく愛は奪う」より 著者:有島武郎
の構成者の稟資(temperament)に帰することが出来るといっている。これは
至言だといわなければならぬ。私達の生活の様式にもまた同様のことがいわれるであろう....
「黒死館殺人事件」より 著者:小栗虫太郎
な感覚が起るが、終いには、一面に灰色のものしか見えなくなってしまう――と。まさに
至言なんだよ。まして、この館には、所々円天井や曲面の壁や、また気柱を作っているよ....
「般若心経講義」より 著者:高神覚昇
、かりに心が曲がっていても、いっこうそれを治療しようとしない」 たしかにそれは
至言だと存じます。他人に注意する場合でも、「顔に墨がついていますよ」といえば、あ....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
只今賢いと思わるる多くが、百年立てば阿呆の部に入れらるる事も多かろうと。これ誠に
至言で、チャンバースが現今第一流の星学諸家が主張する所とは誰々なるを詳らかにせぬ....
「科学論」より 著者:戸坂潤
意味に於て科学というのは、単に分科の学のことを指すのである。処が学問という観念乃
至言葉も亦決して元来、今日普通考えられているように限定されていたものではなかった....
「日本イデオロギー論」より 著者:戸坂潤
ギーのカリケチュアにまで萎縮したのは、全く解釈学や文献学が自分に固有な歴史学的乃
至言語学的エレメントから跳ね出したからで、もしそれ以外になおこの解釈学の実質があ....
「世界の一環としての日本」より 著者:戸坂潤
になっている夫々の何かの社会集団の命令に基いているにも拘らず、矢張りその言論家乃
至言論機関自身の独自な独創的な対社会的な意志から発動したという条件がなければ、そ....
「霊訓」より 著者:浅野和三郎
』の条下に、『魔群と称するものは、低級未発達の魂の集団である』と、のべてあるのは
至言である。『悪』とはつまり『不完全』、又は『未発達』の代名詞で、純粋の悪霊その....
「決闘」より 著者:神西清
ながら、「どうぞ皆さんによろしく。」 フォン・コーレンはこのうえ何を言えるか乃
至言うべきかわからなかった。先刻ここへはいる時には、とてもたくさんの好いこと、温....
「チェーホフ試論」より 著者:神西清
ら彼の誠意の欠乏などになるのではなく、むしろ誠意の過剰にあるのだ。言いたいこと乃
至言うべきことは、最初の二言三言で済んでおり、あとは不愛想な沈黙があるだけだ。し....
「白い路」より 著者:種田山頭火
の商品は売れるものでなくて売るものである」といったそうであるが、実に経験が生んだ
至言である。米屋や日用品店なぞと違って、いつも積極的に自動的に活動していなければ....
「書を愛して書を持たず」より 著者:小川未明
ます。 「書を読んで、悉く信ずれば、読まざるに如かず」という諺があります。蓋し、
至言となします。いかに、尊敬する人の著書にしろ、時代に推移があり諸科学上に進歩が....
「仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
も本当でない、あまり凝り過ぎた仕事も本当の仕事でない」というのがあります。これは
至言であると思います。 よく誰でも「どうも考えがこんがらがってしようがない」と....
「日本料理の要点」より 著者:北大路魯山人
する客の食道楽話の中には、ときどき料理人、あるいは料理屋の主人には思いも及ばない
至言を聞くこともあって、大いにうなずかされることもないではないが、また、一面にお....