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至道
「至道〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
至道の前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「神社合祀に関する意見」より 著者:南方熊楠
か。小生思うに、わが国特有の天然風景はわが国の曼陀羅ならん。前にもいえるごとく、
至道は言語筆舌の必ず説き勧め喩《さと》し解せしめ得べきにあらず。その人善心なくん....
「思想と風俗」より 著者:戸坂潤
のないように、モラルといっても必ずしもいわゆる心理に限る必要はない。寧ろモラル乃
至道徳は行動の実際的論理、行動の人間的メカニズム、といったようなものだ。一身上の....
「道徳の観念」より 著者:戸坂潤
て道徳を道徳規範や道徳律として強調しようという常識は殆んど凡ての場合、その規範乃
至道徳律が永久不変な内容でなければならぬと仮定している。――かくて徳目道徳主義の....
「技術の哲学」より 著者:戸坂潤
労働手段と云ったものの内には――生産手段に就いてはなお更のこと――ただに機械(乃
至道具)が含まれるばかりではなく、之と組織的に結合している工場・設備・交通組織等....
「現代唯物論講話」より 著者:戸坂潤
なりには、文化の充分な発達進歩であることを妨げない。例の超階級的な形式的な文化乃
至道徳的な(非プロパー)文化統制に於ける、ブルジョア文化のそれとしての発達進歩と....
「辞典」より 著者:戸坂潤
なるべき事実乃至現実なるものが夫々異る。例えば芸術に於ては写実主義となり、倫理乃
至道徳に於ては現実主義となり、神学に於ては実念論となる。哲学で実在論と呼ばれるも....
「神仙河野久」より 著者:田中貢太郎
た。河野の名は久、通称は虎五郎、後に俊八とも云った。道術を修めるようになってから
至道と云う号を用いていた。もと豊後の杵築の藩士で、大阪|中の島にあった藩の蔵屋敷....