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「致仕〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

致仕の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
ふもれすく」より 著者:辻潤
生活をさせることは衛生にとってあまり好ましいことではないが、入るべき家がなければ致仕方がない。 彼女を一時彼女の里へ預けることにきめ、老母と子供とをK町からあ....
山県有朋の靴」より 著者:佐々木味津三
「あ、左様か。今度はさきへかえれか。そういうことになれば、そういうことにするより致仕方ござるまい。では、かえるかな……」 のっそりとした顔をして平七は、追わる....
渋江抽斎」より 著者:森鴎外
居|附にせられて、主に柳島にあった信順の館へ出仕することになっていた。父|允成が致仕して、家督相続をしてから十九年、母|岩田氏縫を喪ってから十二年、父を失ってか....
八ヶ嶽の魔神」より 著者:国枝史郎
門、もっとも業に秀でました由――大坂両度の合戦にも、尾張公に従って出陣し、一旦|致仕しさらに出で、晩年|窃かに思うところあり、長沼守明一人を取り立て、伝書工夫|....
連環記」より 著者:幸田露伴
且つ宦官雷允恭と交通したるを論ぜられ、崖州に遠謫せられ、数年にして道州に徙され、致仕して光州に居りて卒した。つまり政敵にたたき落されて死地に置かれたのである。謂....
東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
年の十二月ちょうど兄の得度する少し前に正五位下に叙せられた。それからして父実隆の致仕《ちし》した永正三年までに、位は正四位上まで、官は右近衛権中将を経て蔵人頭と....
源氏物語」より 著者:紫式部
もっていた。左大臣も公人として、また個人として幸福の去ってしまった今日を悲観して致仕の表を奉った。帝は院が非常に御信用あそばして、国家の柱石は彼であると御遺言あ....
源氏物語」より 著者:紫式部
当然のことと思われていたが、 「私はそんな忙しい職に堪えられない」 と言って、致仕《ちし》の左大臣に摂政を譲った。 「私は病気によっていったん職をお返しした人....
興津弥五右衛門の遺書」より 著者:森鴎外
遊ばされ、御幼名|六丸君と申候。景一は六丸君|御附と相成り候。元和七年三斎公御|致仕遊ばされ候時、景一も剃髪いたし、宗也と名告り候。寛永九年十二月九日御先代|妙....
反省の文学源氏物語」より 著者:折口信夫
感じられる書き方が、他の部分にも示されている。源氏が、権勢の上の敵人とも言うべき致仕太政大臣の娘を自分の子として、宮廷に進めようとする。其時になって、此二人の後....
興津弥五右衛門の遺書(初稿)」より 著者:森鴎外
老耄したるか、乱心したるかと申候者も可有之候えども、決して左様の事には無之候。某致仕候てより以来、当国|船岡山の西麓に形ばかりなる草庵を営み罷在候えども、先主人....
上野」より 著者:永井荷風
夏である。湖山は維新の際国事に奔走した功により権弁事の職に挙げられたが姑くにして致仕し、其師星巌が風流の跡を慕って「蓮塘欲継梁翁集。也是吾家消暑湾。」と言った。....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
残れども 北畠親房。村上源氏の久我家から分れた権大納言|師重の子。すでに一度|致仕しておったが、建武中興の後再び仕えて、従一位に昇り、北畠|准后といわれた。彼....