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「臼杵〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

臼杵の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
少女地獄」より 著者:夢野久作
何んでも無い 白鷹秀麿《しらたかひでまろ》兄 足下臼杵利平 小生は先般、丸の内|倶楽部《くらぶ》の庚戌会《こうぼくかい》で、短時....
黒死館殺人事件」より 著者:小栗虫太郎
の追求を放棄しなければならなくなった。と云うのは、四百年の昔から纏綿としていて、臼杵耶蘇会神学林以来の神聖家族と云われる降矢木の館に、突如真黒い風みたいな毒殺者....
渋江抽斎」より 著者:森鴎外
稲葉家へは師匠勝三郎が存命中に初て連れて往った。その邸は青山だというから、豊後国臼杵の稲葉家で、当時の主公|久通に麻布|土器町の下屋敷へ招かれたのであろう。連中....
九州の東海岸」より 著者:宮本百合子
く冲している。それらが房々青葉をつけて輝いている。いかにも軽やかに、明るい。大分臼杵という町は、昔大友宗麟の城下で、切支丹渡来時代、セミナリオなどあったという古....
長崎の印象」より 著者:宮本百合子
てから十日余、天気の点では幸運であった。京都にいた間、また、九州に来てから別府、臼杵などにいた間、塵をしずめる打ち水となる程度の降雨に会っただけで、ために予定を....
長崎の一瞥」より 著者:宮本百合子
ろが、Y、昨晩床に入る時、大分工合を悪がった。天然痘流行の為、私達は念の為大分の臼杵《うすき》で種痘をした。Y、十四位のとき種痘したぎりで、どうも全感らしく、崇....
ヨーロッパ的性格 ニッポン的性格」より 著者:坂口安吾
たのであります。もっとこまかく申しますと、豊後の府内というところの直ぐそばにある臼杵(ウスキ)と申す所へ参ったのであります。 このポルトガルの商船のなかで、東....
顎十郎捕物帳」より 著者:久生十蘭
、溝口雅之進《みぞぐちまさのしん》。 「……稲葉能登守といえば、豊後《ぶんご》の臼杵《うすき》で五万二千石。外様《とざま》大名のうちでもそうとうな大藩だが、この....
炭焼長者譚」より 著者:喜田貞吉
するかは、神ならぬ身の予想し難いところであるが、自分もかつて九州旅行の際に、豊後臼杵で真野の長者炭焼小五郎の譚を聞いて、田舎の豪族がどんな風に考えられていたかと....
手仕事の日本」より 著者:柳宗悦
ちの居城がほとんど西側の国々に在りました。これに引きかえ裏九州には、中津、大分、臼杵、延岡、宮崎、都城の如き町々はありますが、表九州の都には比ぶべくもありません....
随筆 新平家」より 著者:吉川英治
た「多久佐里系図」にも、以上のことは立証されており、傍証としてなら、なお、九州の臼杵党や尾形党の分族が、当地方に移住しておることなどもあり、種々研究に足る史料は....
野草雑記・野鳥雑記」より 著者:柳田国男
同 八代郡 サド 同 球磨郡 サド 日向東西|臼杵郡 鹿児島県のみは現在はイタドリで、サドという語が知られておらぬ村が多いか....