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「興隆〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

興隆の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
蘭学事始」より 著者:菊池寛
が、それと同時に、彼は自分の態度を肯定せずにはおられなかった。 彼は、晩年蘭学興隆の世に会った時の手記に、自分の態度を、次のように主張した。 「翁は、元来疎慢....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
学の名を穢し申すまじき事。 学の兄弟相かわらず随分|睦まじく相交わり、互いに古学興隆の志を相励み申すべく、我執を立て争論なぞいたし候儀これあるまじき事。 右の条....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
なわち厩戸皇子ののこした言葉と言い伝えられるものであった。この国|未曾有の仏法を興隆した聖徳太子とは、厩戸皇子の諡号にほかならない。その言葉に、神道はわが国の根....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
にして、特別扱をしないのは、万葉集に自由性があっていい点である。また、当時は仏教興隆時代だから、餓鬼などということを人々は新事物として興味を感じていたものであっ....
一商人として 」より 著者:相馬愛蔵
など、こんな荒んだ場末もなかった。でもそれは新宿の外形であって、もうその土地には興隆の気運が眼に見えぬうちに萌していた。 さて支店は売上げが日に日に向上し、将....
夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
がる。これこそ人文世界の薄伽梵、仏世尊の誕生である。かくして耀かしい学芸の創造と興隆が現世に約束される。 観るが好い。誕生仏は裸身であってまた金色の相を具え、....
明日は天気になれ」より 著者:坂口安吾
日本人がクリスマスを祝うのはケシカランなぞとヤボなことはいわない方がよい。すべて興隆する民族は清濁合せのむものであり、また清濁合せのみつつある時に興隆しているも....
九代目団十郎の首」より 著者:高村光太郎
九代目市川団十郎は明治三十六年九月、六十六歳で死んだ。丁度幕末からかけて明治興隆期の文明開化時代を通過し、国運第二の発展期たる日露戦争直前に生を終ったわけで....
増上寺物語」より 著者:佐藤垢石
のである。けれど一番古いところの久能山の家康廟と、改造前の日光廟とはまだ徳川家が興隆の途中にあってなかなか軍事に忙しく、従って財政的基礎も確立せぬ時代に建築した....
ローマ法王と外交」より 著者:国枝史郎
こっていたのを認め、この十字軍の挙によってその英気を宗教戦に洩らさせ、キリスト教興隆に役立てようとしたその点からである。 十字軍の功罪、及びその成功不成功に就....
明治哲学界の回顧」より 著者:井上哲次郎
|祝《はじめ》、清沢満之《きよさわまんし》、高山林次郎などという人々も哲学思想の興隆には少なからざる関係があったのである。その他福沢諭吉とか中村正直(敬宇と号す....
チベット旅行記」より 著者:河口慧海
出て、仏教上積極的に活発々裡に働くところの因果の理法を応用して、このチベット国|興隆の策を講じたならば――夢のような望みかも知れんが――確かにチベットは独立する....
戦争史大観」より 著者:石原莞爾
良くない。恩賞は今日の国家の実情に合する如く根本的に改革せねばならぬ。信賞必罰は興隆国家の特徴である。 発明は単に日本国内、東亜の範囲に限る事なくなるべく全世....
早稲田神楽坂」より 著者:加能作次郎
ろう。仰げば近く酒井邸前の矢来通りに、堂々たる新潮社の四層楼が、わが国現代文芸の興隆発達の功績の三分の一をその一身に背負っているとでもいいたげな様子に巍然として....
新古細句銀座通」より 著者:岸田劉生
ランをしている。この辺の事は又あとでかこう。牛屋も一時、カフェーやレストラン等の興隆とともにパッタリさびれて、『いろは』をはじめ大どこが大分店をしめたが、近来又....